『ごろごろ にゃーん』
文・絵/長新太、福音館書店1976年
「あった、あった。この絵本」
何が面白かったのか、いまでは全くわかからずじまいの物って、ありませんか? あのころ家のすみっこで、真剣にページをめくっていた物。それほどお気に入りでもないのに、なんとなくいつも気になって読んでいたのが、これでした。魚のかっこうをした飛行機に、ねこたちがぞろぞろ乗り込んで、窓からにやけた顔を のぞかせています。飛行機は、いろんな場所の上を飛んでいき、その間、
ごろごろ にゃーん ごろごろ にゃーん
だけが、ずっと続きます。ちょうど、乗り物はそのままで、景色だけが変わって いくように、絵だけが変わっていきます。あのころの私はきっと、この「ごろごろ にゃーん」の言葉に、乗っていたのだろうと思います。
幼稚園にも、グローブジャングルがありますね。こどもたちが「つぎはカナート!」と言うと、「よし、じゃあカナートへ!」という調子で、いろんな場所を通りすぎていきます。
子どもたちは乗り物がすきです。たとえば、電車でお出かけをするときでも、大人に とってはほとんど移動時間でしかないのに、彼らは小さなくつをそっぽ向けて、窓の向こう を真剣に眺めています。私のころはまだ、地下鉄というものがなかったので、そうした光景もまれではありませんでした。(そして、くつをぬぎなさい、としかられているのも。)
子どもたちは毎日、飛ぶようなはやさの「じぶん」に乗っています。そして毎日「じぶん」の乗り心地をたしかめています。泣いたり怒ったり。本当にめまぐるしいです。そうした子どもの側のはやさで、『ごろごろにゃーん』は、かかれているように思います。そう思うと、それに心ひかれていたあのころの自分が、何となく理解できるような気がしてくるのです。
「ただいまー。」
ねこたちが魚の乗り物からおりてくると、絵本はそれでおしまいです。次の瞬間にはもう、子どもた ちはそれをうっちゃって、「遊びにいこうよ〜」と言いだすかもしれません。本当に、子どもの時間ははやいものです。
文章 Ryoma先生