お山の絵本通信vol.79

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『おおきくなるっていうことは』
中川ひろたか/文、村上康成/絵、絵本館2006年

「おおきくなるっていうことは」。このタイトルを見て新しい絵本を探す手が止まったのは、つい最近のことでした。「そうそう。今の子どもたちにぴったり当てはまる!」と読み進めたこの絵本を、今回ご紹介させて頂きます。

私が幼い頃、両親の知り合いの方や祖父母に「おおきくなったね!」ということを言ってもらう度、なんだかとても恥ずかしく、嬉しくもあったことを思い出します。時にはその言葉を期待することもあった程、私にとって「おおきくなった」という言葉はとても意味深いものだったことを記憶しています。その言葉の意味を今考えると、見た目が大きくなったのはもちろんのこと、だんだんと敬語を使えるようになっていたり、前より絵が上手になっていたり…。理由は他にも色々とあったかもしれません。また、普段なかなか会うことが出来なかった祖父母とは、年に数回出す葉書の字や電話の声で成長を感じとってくれていたのかもしれないと思うと、今更ながら嬉しくなってきます。

この絵本は、「おおきくなる」ということはどんなことなのかを、とても身近な出来事で分かりやすく説明してくれています。『おおきくなるっていうことは、洋服が小さくなるってこと。水に顔を長くつけられるってこと。木から飛び降りる時でも大丈夫かどうか考えられるってこと。自分より小さな人が多くなるってこと。小さな人に優しくなれるってこと…。』他にもいくつか例えがありましたが、私はこの絵本のページをめくる度に、幼稚園の子どもたちの顔が次々と浮かんできました。

「先生、昨日歯が抜けてん!」と何度もお話をしてくれる子。「逆上がりが出来るようになってん!」などと何か出来るようになった喜びを全身で伝えてくれる子。自分より小さなお友達が困っていると、優しく手を差し伸べたり、すぐに「大丈夫?」と声をかけてあげる子…。少し前まで感じられなかったことでも、ふとした瞬間にあぁ、この子はこんなにしっかりとしたことが言えるようになったんだ。こんなことが出来るようになったんだ。と、一人一人の成長を感じることが出来る度に、私の心は幸せに包まれています。

話は少し変わりますが、私には姉が一人おり、自分が妹ということもあってかいつもわがままを言って育ってきました。それに加え、頑固で泣きむしで…。両親の手を煩わせることも多々あったと聞いています。そんな私の存在もあってなのか、姉は何でも自分で考えて自信をもって行動し、何事にも積極的に取り組むなど、どんどんとたくましくなっていきました。表面には出さないながらも私はそんな姉を身近な目標とし、自分なりに努力もしてみたものです。今は海外で暮らす姉と時々連絡を取り合っているのですが、「あんなにわがままやったさえちゃんも、ちょっとは大人になったんやな!」と笑い話になっています。

しかし成長するということは、もちろん自分一人では無理なこと。両親や兄弟、周りのお友達、幼稚園や学校の先生…。色々な人との関わり、支えがあってこそのものだなぁと、今改めて感じています。というのも、私は幼い頃から内気な性格で、お友達や先生に対して心を開くのに時間がかかりました。それは小学生になってもしばらく続いたのですが、1・2年生の担任の先生が「さえちゃんに絵を描かすと、おどろく程大胆!」と言ってすごく褒めてくれたのを覚えています。その言葉で私は今まで全く自信がなかった絵に対してとても自信が湧くようになり、高校に上がるまでに幾つか賞を頂くこともありました。それ程周りからの言葉というものは重みがあり、決して粗末にはしたくないと感じる次第です。また、自分自身を認めてくれる人がいたからこそ、今の私があるのだと思います。

幼稚園にいると、子どもたちにとって『お誕生日』は「ぼく○才になったんだよ!」「お誕生日がきたからお姉さんになったんだよ!」と様々なお友達に知らせたくなる程、特別な日だということがすごく伝わってきます。そして、お誕生日前には少し難しかったことでも「私は一つお姉さんになったから出来る!」と自信をもてるようになることも多く見られます。私はお誕生日の子どもや、学年が一つ上がった子どもたちに対して「一つおおきくなったね。」という言葉をプレゼントしますが、「おおきくなった」とはどんな意味が込められているのか、また子どもたちにこの絵本を通して伝えていきたいと思っています。

きっと、子どもたちにとって『今』に自信が持てる、素敵な絵本だと思います。

文章/Sae先生