『あんなになかよしだったのに…』
かさいまり/作、ひさかたチャイルド2009年
この本と出会ったのは割と最近です。タイトルからは内容がどんなものか少し心配になりましたが、読んでみるととてもよくありそうな一場面が描かれていたので、絵本の世界に引き込まれて手にしていました。自分とも、また目の前で繰り広げられるやり取りともよく重なるお話です。
「だい」と「ちい」という仲良しのこぐまがいました。ある日、だいの言った言葉によってちいは悲しくなり「もう遊ばない!」と言います。だいは理由を一生懸命探します。そしてちいはせっかく理由を話してくれたのに、またしてもだいはちいのことを悲しませてしまいます。でもだいも必死に仲直りの言葉を伝えることが出来、2匹は無事に仲直りをする事が出来ます。
私は子ども達と同じ「おやまのようちえんのお友達」でした。今の皆と同じようにお友達と手を繋いでお山の道を通り、思い切り遊んで日々を過ごしていました。今でも小さいお友達と手を繋ぎたくて差し出したこと、お部屋で粘土遊びをしたこと、お友達とお部屋の一角で楽しくお喋りをしていたことなど、何気ない毎日の一瞬が思い出として頭に残っています。そんな幼稚園で私はひとりのお友達と出会いました。クラスも同じ、送迎グループも同じだったのですぐに仲良しになり、いつも一緒に過ごしていました。沢山の時間を一緒に過ごす分、喧嘩も沢山重ねたようで楽しい思い出と共に、彼女が怒りながら降園の列から離れてお母さんのところへ帰っていくところも未だに忘れられずにいます。喧嘩の理由は「おもちゃを取り合った」「じゃんけんをしたけれどどうしても勝敗が受け入れられずにいた」「本当はおうちでも遊びたかったけれど上手くお約束が出来なかった」などだったかと思います。お互いにぷんぷんと怒りながら帰り、私も家で母に聞いてもらったりしていましたが、やはり心に重たいものが乗ったような気持ちを持ったままでした。
今思えば私の方がはっきりと色々言ってしまう方だったので、喧嘩を大きくしてしまっていたり、お友達を怒らせてしまっていたのではないかな、と思います。只、有り難いことに本人同士が喧嘩をしていても、「香織ちゃんと○○ちゃんはいつも仲良しだから」と次の日の朝、先生がまた手を繋がせてくれたことでした。隣で並び歩くことで “ 2人きりではないけれど、2人きりのような世界 ” が出来、改まって顔を合わせなくても仲直りが出来て、いつもの関係に戻れたものでした。「昨日はごめんね」と言えたことで心の重しがすっきり消えていきました。
この絵本の中で特に心惹かれたのは、だいがちいに再び「もう遊ばない!」と言われてからごめんねを伝えにいくまでの数ページの移り変わりでした。始めの方のだいのような言い方はしないにしても、どうしても楽しくなり言い過ぎてしまう、悪気はなくても何気ない言葉で相手を怒らせてしまう、ということは日常子ども達と過ごしていて本当に出会う場面です。本当はごめんねが伝えられたら、伝えなきゃいけないことはよく分かっていることも表情を見ていて理解できます。でも思うことも沢山あるのでしょう、スムーズに言葉が飛び出してくるときと、喉元で引っかかっているようなときがあります。言葉に紐がついていて、出来ることなら引っ張ってあげたい、飛び出させてあげてすっきりさせてあげたいなぁと思うこともあります。でもそれは出来ないので自分が言われたらどう思うかな、相手のお友達はどう思ったかな、というやり取りで整理をして「これからも仲良しでいるために大切な言葉」としてごめんねを伝えてもらうようにしています。
この本をお部屋で読んだ時、子ども達も似たような場面を見たり体験したりしたことを思い出したのか、私が惹かれた辺りで表情が少しずつ変わっていくのが感じられました。大丈夫かな? このあとどうなるのかな? と、だいとちいの関係を心配してくれていたのだと思います。それはお友達同士のお話し合いを見守るときと少し似ていたような気がしています。でもだいが一生懸命気持ちを伝えるときにとても可愛い言い間違いをします。それでも気持ちはしっかり伝わって仲直りが出来たことが分かると見守ってくれていた子ども達もほっと安心した表情を見せてくれていました。ちなみに前述のお友達とは今でもとても仲良しです。
これからも言葉の大切さ、お友達の存在の大きさ、そして幼稚園には楽しい事と共に素敵な出会いもいっぱいあるんだよ! ということを自分らしく伝えていきたいです。
文章/Kaori先生