お山の絵本通信vol.93

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『地球』──その中をさぐろう──
 加古里子/作、福音館書店1975年

絵本通信の原稿を書くのも十年目となりました。本を見つけるのがいつも悩みの種なのですが、それでも絵本というものは、不思議と、掘り起こせば出てくる地層のようなものだと感じます。

加古里子さんの『地球─その中をさぐろう─』は、私の6才の誕生日だったか、入学のお祝いとしてもらったのではないかと思います。表紙のスコップの絵が懐かしいです。当時はそれを見るにつけ、いつでも探索に出かけられるような身近さを、この絵本に感じていたのを憶えています。

さて、表紙には茶色い地層に化石や銅鐸が埋まっています。その先にページを繰ると、最初は、お正月の野原を駆ける少年と犬、そして犬が掘り起こそうとしているフキノトウの絵が目に飛び込んできます。地上の様子からはなかなか想像できないような地下の断面が描かれており、フキノトウもまた力強い地下茎を張っていて、読者に語りかけてきます。そう言えば、ちょうどこの頃の私はこの植物に強い興味を示していて、それがどうしても見たいと言って母親を困らせた覚えがあります。

ツクシを夢中で探していた時期もありました。また道端にハコベやオオイヌノフグリが咲き群れているのを目にすると無性に嬉しくなり、めいっぱい摘んではお金持ちになった気がしたものでした。そうした満ち足りた興奮は、思い返せば、もしかしたら先にこの絵本の影響があったからなのかもしれません。

さて、ページをめくっていくと、内容は空間的にだけでなく時間的にも変化していきます。そして火山や地殻変動の話を経て、最後には宇宙でしめくくられます。おしまいの星雲の絵は、あたかも暗闇に埋れた化石のようにも見えてきます。

このあいだ、久々にこの絵本を手に取ってみました。すると、自分の記憶がいかにおぼろげであり、ストーリーもほとんど頭に入っていなかったことを知りました。また科学的な内容に至っては、まったく理解していなかったのだなと。

おそらく、当時の私は、文章を読んでいたのではなくて、絵の方を眺めていたのだろうと思います。要するに、その時の気分で気に入った絵を見つけ、内容がその都度変わるという、いわば独り言のような読み方をしていたのでしょう。それは、完成に五年を要した作者の思いとはかけ離れていたでしょう。とはいえ、あとがきにあるように、「教科書でもありませんし、ここからテストの出題があるわけでもありませんので(中略)たのしく絵さがしのつもりでながめてください」という意図からは、そう外れてもいなかっただろうと思います。

この絵本の魅力は、いかに正確に物事を伝えるかということにあるのではなくて、むしろ「分かっていることの下には、まだ分からないことがたくさん横たわっている」という事実に驚きの目を向けさせることにあるのでしょう。また、それがどこまでいっても終わりがないところに、この絵本の普遍性があるように感じます。

たとえば絵本の中で、大陸がなぜ動くのかという謎を解くには、地球の内部がなぜ熱いのかという謎に答えなければならない、とあります。その問いに答えるにはさらに、地球の誕生の様子を知る必要があり、またさらにそれには、宇宙の様子が関わってきます。絵本の中の言葉を借りれば、「ちきゅうのなかの なぞを しるためには ちきゅうのそとの なぞを とかなくてはならない」のです。

作者はまたあとがきで、「とかく科学の本というと肩がこると思われがち」と言う一方で、中学の地理の先生からウェゲナーの大陸移動説を教わって、「科学というものがこんなにもすばらしく豊かで詩のような美しいうるおいを兼ねている」ことを知ったと触れています。見えないものに対する興味を失わない限り、全くその通りだと思います。このような作者自身の尽くせぬ興味の広がりが、かつての私のように何も知らない読者をその懐で遊ばせることを可能にしていたのでしょう。そしてお互い見えないもの同士、この絵本は、黙ってそれを読んでいる子供の内面における独り言ともよく呼応していたのだと思います。

ところで、私がこの絵本と一緒に思い出したことを、最後に書きとめておきます。

1年生の頃、学校で「私の宝物」というテーマで、みんなのそれを見せ合うという機会がありました。私は、小さい頃から家にあったぬいぐるみか、理科の授業で興味を覚えて集めた石ころか、前日までどちらにしようかと迷っていました。結局、石の方にしたのですが、あとでそのコレクションを先生に称揚され、とても嬉しかったのを憶えています。それは川原で拾った白いはちまき模様の石たちで、私はその一つ一つに、わざわざ「これは〜に見えるから〜石だ」と勝手に名前をつけていたのでした。

その時のことが今でも嬉しいと感じられるのは、その先生が、私の持ってきた物を、見た目ではなくて、その中にある、はじめて「多様性」を見つけたという私の嬉しさに対して、じかに共感してくれたからなのだろうと思います。

また同じ先生が、「花を一つずつ持ってきなさい」と言われたことがありました。確か図工の絵を描くための注文だったろうと思います。私は前日の夜になってそれを思い出し、あわててどうしようかと考えました。そこでふと、近所の道端にきれいなムクゲが咲いていたのを思い出しました。それを取りに行ったのが夜だったので、花はとっくにしぼんでいて、夜目に紫色に見えました。けれども私は一つ摘むと、「これなら先生もきっと、きれいだと思うにちがいない」と安心しきって、その日は床につきました。

次の日になり、図工の前の時間、私は袋からムクゲを出してみました。すると、それはぶよぶよとした、みじめな塊になっていました。しかも中にはナメクジがいたのです。あまりの気持ち悪さに、私は誰にも見つからないうちに、ゴミ箱へ向かいました。

チャイムが鳴り、先生が入ってきて、「花はみんな忘れずに持ってきましたか? 机の上に出してください」と言う瞬間が来ました。先生は一人ひとりの席を見て回り、とうとう私のところまでやってきました。そして、私が机の上に何も出さず、手を机の下に隠している姿を見て、「どうして持ってこなかったの。あれほど言ったでしょう」と言われました。

私は、先生をがっかりさせたことと、あれほどきれいだったムクゲがナメクジに変わってしまっていたことに意表を突かれて、すっかり言葉をなくしてしまいました。まさか先生にしてもそんないきさつがあったとは思いもよられなかったでしょうし、付け加えると、私は忘れ物の常習犯だったので、やむをえないことでした。そして勘違いされても、私はそれ以上に先生のことが好きだったので、うらみはわかず、ただ「悲しい」という思いだけが残りました。

英語で、幼い子供のことをインファント(言わない者)とあらわすそうです。私は上のような自分の体験を思い出すにつけ、子供たちの発する言葉にも、その地下にあたる部分には、もっともっとたくさんの言葉が、発せられないままで埋もれているのだろうと想像します。それなので、私もかつて自分が感じたことを忘れないようにして、自分から言葉を発する時も、子供たちの言葉の表面だけを見てすぐに決め付けてかからないように心がけたく思います。

文章/Ryoma先生