『おんちのイゴール』
きたむらさとし/文・絵、小峰書店2006年
この絵本と出会ったのは先生になってからでした。
音楽大好きの私としては見逃せなかったタイトルでした。この絵本は開いて見る度に自分を突き動かす「好き」な気持ちの大きさ、個性を認めることの大切さを学ぶことが出来るように思います。
春がきて、歌の季節がやってきました。イゴールも夜明けのコ−ラスをすべく歌い始めました。が、周りの鳥達からは「おんち」と言われ、友達も大笑い。先生に習ってもお手上げ状態で落ち込んでしまいます。(文面だけでなく、挿絵を見ていても独特の歌声が聴こえてきそうな所もこの本の面白さの一つだと思います。)
歌が大好きなのに、悲しくなってしまいイゴールは歌うことをやめてしまいます。でも本当は歌いたいのです。そして誰もいないところで気持ちを抑えられなくなってそっと歌い始めました。するとそれを聞いていたドードー鳥が大絶賛。イゴールの歌声を<こせいてき>だと認めます。最後にふたりはバンドを組んで世界を目指し、旅立つのです。
まずはイゴールのパワ−に脱帽です。
音痴と言われてから、自分でも思うことをやって努力をし、それでもダメなら先生の所で一生懸命学んで…。読んでしばらくは何とも言えない切ない気持ちにさせられます。こんなに頑張っているのに報われないことがかわいそうなのと、イゴールの持つ周りの鳥や動物達に対するうらやましい気持ちが痛いほど伝わってきます。何か一つでも好転のきっかけになればと思うのですが、イゴールの場合はより周りの評価に晒されることになり、とってもとっても残念に思えてきます。
でも歌が大好きで、やめることが出来ない。
自分自身に置き換えてみてもうなずける部分は多いです。私ならここまで認められないと、続けられるか自信はありません。でも、やはりあることに対して「好き」な気持ちを持っていると何かあっても堪え方、踏ん張りが全然違ったものでした。
小さい時から唯一ピアノを習っているのですが、グレ−ド試験の前や発表会の前など泣きながら弾いたことも、もはや楽譜を見るのが嫌だったことも沢山ありました。でもそこで「じゃあやめちゃう?」という問いかけにはいつだって首を横に振ったものでした。
「今、この瞬間は嫌でたまらないけれど、ピアノを弾けなくなるなんて、上手になれないなんてそんなこと絶対嫌!」
口には出していませんが、静かに心の中に燃やしていたものがあったように記憶しています。
幼稚園で子ども達を見ていても似たような場面に出会うことがあります。
悔しくても悲しくても、転んでも手が痛くても、再び立ち上がってまた挑戦しようとする姿が至る所で見られます。適当なところでおしまいにはしないで自分が納得するまで、時間の許す限り頑張ってみようとする子ども達の背中には「好きやしな、もっと出来るようになりたいねん!」と書かれているように見えて、こちらも「よし、じゃあ一緒に頑張らせて。」と力一杯サポ−トしたくなります。
ピアノを弾く中で個性を認められているのだと感じた瞬間もありました。
小学生の時、発表会に出るために練習をしていた時のことです。ちょうどペダルを踏んで弾く曲と出会い始めたかな、くらいの時期でした。でも私の弾く曲はペダル無しで弾くことになっていました。ただ、ずっと一緒に習っていた友達が弾く曲を聴いて、友達はしっかりペダルを踏む曲を弾いていたもので幼な心に「なんでかな?」と思ったことがありました。悔しいとは少し違う、不安のような気持ちからだったと思います。「上手になれてへんのかな?」といったような。それまではあまり与えられた曲に対して疑問など持たずに練習していたのですが、この時ばかりは先生に尋ねてしまいました。それだけ「ペダルを踏んでピアノを弾く」ことに憧れを持っていたのだと、振り返って思い出されます。
私のそんな疑問に対して先生は「香織ちゃんはね、タッチがとてもしっかりしてるねん。やし今弾いてる曲がとてもお似合いなの。」と答えて下さいました。確かに優しく滑らかに弾かないといけないような曲は、どうしても綺麗に弾けているように思えなかったところがあったので、少し億劫になっていました。でも先生はしっかり私の特徴を見抜いて下さっていて(褒めると頑張れるというところも含めて)、私に合ったものをきちんと用意してくれていたのだ、ということをはっきりと知った瞬間でした。
それからは自分も自分の特徴を知れたので、力強い曲を選って弾くようになり私の個性を伸ばせてきたのかなと思います。
そしてそんな言葉をもらえたから、今もピアノが大好きで幼稚園でも「先生!今日はこれ弾いてほしいなぁ」のリクエストをもらうととても嬉しいです。
今は逆に今まで弾いてきたものとは対照的な分野にも挑戦中です。より多岐に渡って弾けるようになりたい気持ちに動かされています。ぺ−スとしては、本当に本当にゆっくりですが、少しずつでも出来てきたなぁと思えるようになるまで頑張りたいと思います。
どんなことにおいても正解や決まった形があるわけではないし、誰が決めるでもない。イゴールの個性を見つけられたド−ド−鳥のように、そして私のピアノにおける個性を見つけて伸ばしてくれた先生のように、私も日々接する子ども達の素敵な面を沢山見つけて伸ばしていける人になりたいと、改めて思いました。そんなことを考えさせてくれた一冊です。
文章/Kaori先生