『ビロードのうさぎ』
マージェリィ・W・ビアンコ/文、酒井駒子/絵・抄訳、ブロンズ新社2007年
この絵本を読んだ時、幼い頃に大切にしていた『うさちゃん』の事を思い出しました。私は幼稚園に入る前から、そして入ってからも大きくなるまで、いつもどこへ行く時も小脇に抱えて大切にしていた『うさぎのお人形』がありました。ごっこ遊びが大好きだった私は、他にもラッコさんにムーニーちゃん、メグちゃんなどなど沢山のお人形のお友達がいました。でも、やっぱり『うさちゃん』が一番仲良しだった様で、幼い頃の写真を見るといつも私の小脇には『うさちゃん』がいました。
絵本に出て来るビロードのうさぎが、自分の大切にしていた『うさちゃん』と重なり、お話に夢中になって入り込みました。
このお話は、ぼうやとビロードのうさぎが春、夏、秋、冬……と季節を巡る中で一緒に楽しく遊ぶ様子が描かれています。ぼうやに大切に大切にされたビロードのうさぎは、他の人にはうさぎに見えないくらいボロボロのヨレヨレになってしまいますが、ぼうやにとってはいつまでも素晴らしいうさぎで、ビロードのうさぎも毎日とっても幸せだったので汚れていても気になりませんでした。
でも、そんなある日ぼうやが病気になってしまい、汚くなったビロードのうさぎは大人達に捨てられてしまうことになってしまいます。すると、悲しくて悲しくて胸が潰れそうになったビロードのうさぎの目から本当の涙がこぼれ、そこへ子ども部屋の妖精が現れます。愛されたおもちゃが、子どもとお別れすることになった時、妖精が迎えに来て本当の物にしてくれるのです。お話の最後は本物になったビロードのうさぎが、森から大きくなったぼうやをじっと見つめ、大きくなったぼうやも、ふと大切にしていたビロードのうさぎを思い出し、温かい気持ちなったところで終わります。
絵本の中でとっても好きな所がありますが、それは『こころから たいせつに だいじにおもわれた おもちゃは ほんとうのものになる。 子どもべやには ときどき まほうが おこる ものなのだ』という所です。絵本を読んだ時、子ども部屋の妖精が本当にいてくれたら、なんて素敵だろう! と思いました。
私が大切にしていたうさちゃんもビロードのうさぎの様にボロボロのヨレヨレになってしまいましたが、いつも安心感と心地よさ、楽しさをくれていました。あまりに大切にしていたので母も捨てることができず、有難いことに今でも私の部屋から私の成長を見守ってくれています。(だから、本物にはなれていないかもしれませんが……)でも、多くのおもちゃの仲間達は成長と共にお別れしてしまいました。幼い頃の私の部屋にも魔法がかかり、妖精に『ほんもの』にしてもらっていることを願っています。
幼稚園で子ども達と過ごしていると、『子どもべやには ときどき まほうが おこる』ということを感じる事が多々あります。幼稚園では特に色々な場面で魔法がかけられており、出来なかったことが急にできるようになったり、偶然にとびきり楽しいことが起こったり……いつもドキドキ、ワクワク驚かされ、楽しませてもらっています。
そんな中、おもちゃ達も色々な場面で魔法をかけてくれています。寂しくて涙が出た時、側にいて安心させてくれたり、笑顔にしてくれたり……ある時はお友達とお話しするきっかけを作ってくれたり、おもいきり笑わせてくれたり……。
私は、子ども達が帰った後の静かなお部屋でお掃除をする時、いつもおもちゃの整理をしながら『今日もありがとう』と心の中で伝えるようにしています。この絵本を通して物を大切にすることの大切さを改めて感じたからです。おもちゃだけでなく、毎日生活する中で使う物も『もし、私達と同じように気持ちがあったら……』と考えると段々愛着が湧いてきます。幼稚園ではおもちゃも机も椅子も皆で使います。だから、自分の為だけでなくお友達の為にも大切に使うようにしています。物を大切に出来るという事は、相手を想う事が出来るということであり、相手を想う事の出来る人は、人の事も自分のことも大切に出来る人だと私は思います。
物の大切さを改めて感じ、いつも当たり前にある物、当たり前にある事、当たり前に側に居てくれる人達に『ありがとう』と言いたくなる、そんな絵本だと思います。
文章/Mami先生