『ないた』
中川ひろたか/文、長新太/絵、金の星社2004年
「よく泣く子やったよ。」
時々母に「子どもの時の私はどんな子だった?」と尋ねてみることがあります。その時ほぼ必ず言われてしまうのが、最初に述べた言葉です。私は長女なこともあってか、家や幼稚園でもよくお手伝いなどをしようとしていたタイプでもあったようなのですが、「もうそれはそれは……」と言われるくらいなのでよっぽどだったのでしょう。
内容を聞いてみると、まずは登園初日から泣いた、クラス写真も泣きながら先生に手を引かれていた、手を繋ぎたかった相手が急に気持ちが変わってしまった為に戸惑って泣いた、など今見ることもありそうな場面を自分もしっかり作っていたと思わずにはいられないことだらけでした。
自分でも思い当るところはいくつもあって、今思えば相手は普通に伝えたかったつもりが、自分にとっては衝撃的で涙が出たり、どうしたら良いか分からない時には大体泣いていたように記憶しているので、さぞかし沢山のお友達や先生にお世話になったのだろうと思います。
幼稚園以外でも、妹がちょっといたずらをしようとしたものなら「どうしよう! ○○ちゃんがこんなことをしてる!」と、自分がされたわけでもないのに泣きながら伝えに来ていたよと言われたこともありました。
とにかく戸惑いや、気持ちを上手く言葉で伝えられない時には泣くことに精一杯自分の気持ちを載せようとしていたのでしょう。少し大きくなると、数は減るものの悔しい気持ちやその時々で処理しきれない気持ちを抱えると、やはり泣いていました。
只、忘れないのはそんな時はいつも先生がいてくれました。思いきりぎゅっと抱きしめて、不安を小さくしてくれました。「もう大丈夫。」と言葉をくれました。「どうしよう、Kaoriちゃんまた泣いてる……」と本当は思っていたかもしれないお友達も手を繋いでいてくれました。にこにこと笑ってくれていました。そして母は、やはり「もう泣かんでいいのに。」と言いつつ、「優しすぎる。」とどちらかと言うと気の弱いこの性分を受け止めてくれていました。私がどこにいても、誰かが受け止めてくれたからこそ、ちゃんと見ていてくれたからこそ、幼い私は思いきり泣けたのだろうし、我慢することなく沢山泣いて少しずつ逞しくなり、成長することが出来たのでは、と思っています。
この絵本では沢山泣く姿が描かれています。転んだ時、喧嘩をした時、悔しい時、不安な時。そしてマイナスだけではなく、嬉しい時も。
そして主人公は思います。「大人はなんで、泣かないんだろう」と。「どうして僕は泣くんだろう」と。
確かに何かと涙が出てしまっているけれど、沢山泣いて泣いてきた私から教えてあげたいな、と思うことは、“必ず大丈夫になるよ、知らない間に少なくなっていくよ、だから今は思いきりどうぞ!”ということです。
きっとこの主人公も受け止めてくれる存在を分かっているような気がしています。だから、大きくなったときには、もしかしたら少しは忘れているかもしれないけれど、泣いてしまう気持ちも受け入れて、背中を押せる人になってくれるのではと勝手に想像しています。そして同時に大人も時々泣くのだということにも気付いてほしいと思います。
その時の状況にもよるので、涙にとことん付き合うのは難しいかもしれません。でもそんな時は本人の力を信じて「もう大丈夫。」と背中を押せる、気持ちを切り替えるスイッチを押す、幼い頃私の周りにいた人達がそうしてくれたように、私も子ども達に対しこれからも行っていきたいと思っています。涙ひとつひとつの思いを見逃さないように、そして涙に載せた思いに限らず、どんなこともしっかり受け止めて一緒に前を向き歩んでいきたいと思っています。
文章/Kaori先生