『ママ だいすき』
まどみちお/文、ましませつこ/絵、こぐま社2002年
絵本通信も十四年目に入りました。私が小さい頃に見聞きした本には数に限りがあります。そこで、今年も苦し紛れに児童書コーナーを回りました。母の日が近いということもあり、今回は、最近の自分の心境に当てはまった本をご紹介します。『ママ だいすき』という絵本です。
絵本の表紙を飾るのは、あたかも童謡を想起させるような、ゾウの母子。夕焼けを後ろに見ながら、長い鼻で何かを話し合っています。
ブタの母子の見開きの絵では、一頭の子ブタがお母さんのほっぺたをおっぱいだとまちがえてチューをしています。
「また ぺろぺろかぁ」という子ネコと、その子の顔を一心になめている母ネコ。その絵もまた詩情たっぷりです。
ある時は「かけっこ しよう」だったり、ある時は「おはなし もにょもにょ」だったり、そして「わあ きれい ママ」だったり。そうした短い言葉のうちに、親子で絵のすみずみまで見渡せることが、この絵本の持つ魅力だろうと思います。
ゾウから始まってまたゾウに終わるまでの母子の睦みあいに、「次はなんの動物だろう」「どんな台詞だろう」と期待が膨らみます。そして、一場面ずつに出てくる動物はちがっても、それら全体を通して、読者である親子のストーリーを代弁してくれているのだと想像できます。
ところで「だいすき」という言葉は、作中では「だっこ だいすき」にしか使われていません。それなのにどれも台詞が「だいすき」という音色で聞こえてくることを私は不思議に思い、何度か読み返しました。そのうちにふと、こんなことが気になったのでした。
「だいすき」である以外の時には、この動物の母子たちはどんなふうにしているのだろうか。「だいすき」ではない時もあったはずです。つまり、この絵本の作者は、きれいな所だけを切り取って読者に見せようとしているのだろうか。それとも、いいこともわるいこともひっくるめて、そういう表現を取ったのだろうかと。果たして、この絵本は美化されたものなのか、それともちがうものなのかと。
そこで、「純化」という言葉を書いた記憶がよみがえりました。十年以上も前になりますが、宿題を母に見てもらった思い出を『山の学校』の通信に寄せたことがありました。そこで私はこう書いていました。
「後になって、自分の頑固さを恥かしく思うので、それを思い出すたびに純化されて、宿題を見てくれた感謝だけが残りました」と。
絵本に描かれている「だいすき」は、それと同じことではないだろうかと思い当たりました。
さて、ここからはしばらく、私と母との対話になります。私の母は、母子手帳の続きとして、ごく簡単な日記をつけていたのですが、それを私はいつか母に見せてもらって、自分の手でタイプし直したことがありました。
そこには、私が一歳の時、手にやけどをしたことが書かれていました。母は赤ん坊の弟をたらいで洗おうとしていて、指し湯を入れた洗面器をそばに置いていました。そこに私が興味を示して四つん這いで近づいてきたのでした。そして母が目を離しているすきに、私は洗面器の縁に体重をかけたのでした。
ずっと泣き止まない私の手を、母は流水で冷やし続けたと書かれていました。あとで大きくなってから、「あの時は熱かったでしょう」と言われました。けれどもそれは、気付かないぐらい小さな痕であり、私にはむしろ、ひたすら水を流し続けた母の処方がありがたく思われました。
また、母がじかに話してくれたことがあります。私が二歳頃のことで、母が洗濯かごを抱えながら足で引き戸を開けるのを、後ろからついてきた私が同じように足で真似をして開けた、という話でした。母は笑いながら「あの時はびっくりした」と付け足しました。それから母は、私の一歳の頃までさかのぼって話を続けました。
それは、足元にまとわりつく私を、母が追い払おうとして足で蹴ったという話でした。母はこう言いました。「それでも泣きながら追いかけてきて、わざわざ同じ方の足にすがりついて来たのを見て、『ああ、自分は悪いことをしたんだ』と思った」と。
もちろん私は当時のことなど記憶になく、ただそうした事実があったんだということだけが認識されました。けれども母は折にふれ、その足の感触を思い出すようでした。そして、それを申し訳なさそうに語る母は、私の目にはより母らしく見えたのでした。
ここからはまた、絵本の表紙に戻ります。
目をつぶっても、いつか見た夕日はまた見えてきます。この『ママ だいすき』という絵本も、それと同じカラクリなのでしょう。その紙背には、無数の「ママ だいきらい!」があります。またいくつもの「ごめんね」があります。けれども、いつの間にかそれさえ飛びこえてしまって、他にどうにも言えずに浮かんできた表現が、「だいすき」なのでしょう。それは、時を移せば、振り返ってから言える、「ありがとう」なのかもしれません。
この絵本で私が感じたように、もはやその子の思い出にさえ残らない部分は、次第に純化されて、ただ感謝だけとなって残っていくのだろうと思います。
文章/Ryoma先生