お山の絵本通信vol.180

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『ひとりひとり』

谷川俊太郎/詩、いわさきちひろ/絵、講談社2020年

今回ご紹介するのは『ひとりひとり』と題する小さい絵本です。挿絵のある詩集と言った方がよいかもしれません。最初のページを開けると、美しい絵とともに次の詩行が目に入ります。

      ひとりひとり
      違う目と鼻と口をもち
      ひとりひとり
      同じ青空を見上げる

ためしに声に出して読んでみましょうか。「ひとりひとり」の繰り返しが耳に心地よく、それでいて、何を言わんとしているのか、一読してすぐにつかみ切れないもどかしさを感じます。見開き九頁にわたり、このような四行から成る詩行が続きます。最後まで「言わんとすることが何かわからない」という印象は変わりませんが、それでいて何か大切なことに思いをはせる時間を味わいます。詩の詩たるゆえんです。一方、各々の詩行の奇数行はみな「ひとりひとり」という言葉で構成され、独特のリズムを醸し出しています。

挿絵について言及すると、淡いタッチの挿絵の一枚一枚が大人の目にはぼんやりとしていて、これまた何が描かれているのか一目で判然としません。たとえば、最初の挿絵をよく見ると中央に子どもがひとり描かれているようですが、目も鼻も口も描かれず、背景が詩の言葉にあるような青空というわけでもありません。黄色や紫、オレンジや緑といった様々な色が微妙に混ざり合い、何とも言えない模様を生んでいます。

引用した詩の言葉しかり、挿絵しかり。ここで何が表現されているのか、それを理解することが大事なのではなく、何かを感じることが大切なのだ、ということを前提にひとまず全体を声に出して読んでみると、すがすがしさ、はかなさ、もの悲しさ、といったさまざまな感情が喚起されるのを覚えます。違う日に読めば違う印象になるのでしょう。それもまたよし、です。

          ひとりひとり
          どんなに違っていても
          ひとりひとり
          ふるさとは同じこの地球

この絵本を締めくくる最後の一節です。人間関係の諸問題から、地球環境の問題に至るまで、つきつめれば私達一人一人の心のありようが問われていることに思いがいたります。複雑化した現代社会に身を置きながら、「ひとりひとり」と声に出すうち、不思議なことに、ものごとを子どものような素直な心でとらえ直すことができる気がしてきます。

詩の日本語には、どの漢字にもルビがついていて、字の読めるようになった子どもへの配慮がなされています。小学生なら、一人で読んできっと何かを感じ取るでしょう。とりわけ俳句に親しむ子どもなら、この絵本に関心を寄せるのではないかと推察します。

昨秋年長児からこんな俳句を受け取りました。

          ほそいつき ぽつんとひとり まっていた

自分も一人、夜空の月も一人。三日月を「ひとり」と表現できる感性は、まさに詩人の魂と呼ぶべきものであり、『ひとりひとり』の世界とどこかで共鳴しています。言葉で表現するかしないかの違いだけであって、子どもたちは誰もがこの感性をたっぷり豊かに備えて生きています。人が人として成長する上で、理性や知性を磨くことも大切ですが、この感性──三つ子の魂──をいつまでも守り続けることもまた大事なことなのだと思います。

この詩を読むと、私自身己の童心──想像力──が刺激され、身の回りの「ひとりひとり」に心が向かいます。「ひとりひとり」は「ひとつひとつ」であり、日本語にはさまざまな「ひとりひとり」が見つかります。「一歩一歩」、「一瞬一瞬」、「一期一会」、「一日一生」など枚挙にいとまがありません。「ひとりひとり」の言葉を大事にすることは、「ひとつひとつ」の事柄に──ひいては、天与の一瞬一瞬にいたるまで──丁寧に向き合う気持ちを呼び覚ますでしょう。どんなに時代が進んでも、「ひとり」は「ひとり」であり、今という一瞬は一度きりで二度と戻りません。さらに言えば、今この瞬間に自分が身を置くこの場所は、大宇宙の中で自分ひとりが占有する唯一無二の場所にほかならないのだ、と。

この絵本は、いわゆる読み聞かせに向いた本とは言えないかもしれませんが、本棚に一冊忍ばせておくことで、いつしか子どもにとって大事な意味を持つ一冊になるかもしれません。
 


 文章/園長先生