『にじいろのさかな』
マーカス・フィスター/文・絵、谷川俊太郎/訳、講談社1995年
私が子どもの頃に読んでいた絵本を、クラスの子ども達と一緒に読む時間。それは、懐かしさを感じながらも様々なことを考えられるひと時となっています。
「こんなメッセージが込められていたのか」「子どもの頃読んだときは、こう思っていたな」と考えながら、子ども達の目と絵本の文章を交互に見てはページをめくります。今回ご紹介する絵本は、最近そんな風に感じながらクラスで読んだ、「にじいろのさかな」という絵本です。
青く深い遠くの海に、虹色のうろことキラキラと輝く銀色のうろこを持った世界一美しい魚がいた。他の魚たちはあまりの綺麗さに目を見張り、彼をにじうおと呼んだ。「にじうお、いっしょにあそぼう!」と他の魚たちが誘っても、にじうおはただスイスイと通り過ぎるだけ。得意になって、うろこをキラキラとさせながら。
ある日、小さな青い魚が後を追って呼びかけた。にじうおのキラキラうろこが欲しいと言う。だが、にじうおは叫んで拒み、その魚を追い返した。それからは、誰もにじうおに関わろうとはしなくなった。
海中で一番寂しい、ひとりぼっちの魚になってしまったにじうお。助けを求め、とてもかしこいというタコのもとに辿り着いた。タコは、どうすれば幸せになれるかがわかるかということをにじうおに教えた。それは、自慢の綺麗なうろこを1枚ずつ他の魚に分けてあげるということだった。
半信半疑でためらいながらではあったが、にじうおは、やってみることにした。1枚、また1枚、と分ける度、不思議な気持ちになっていく。あげればあげる程に嬉しくもなっていく。そして、とうとう輝くうろこはたった1枚だけになった。周りの海中がキラキラとしている。
「おいでよ、にじうお。いっしょにあそぼう!」と皆が呼んだ。
「いまいくよ」とにじうおは言って、ぱしゃぱしゃと幸せそうに
友達の方へ泳いで行った。
読み終えた後に、子ども達から最初に出た感想は「僕もほしい!」というものでした。そして、「私は紫がいい!」「キラキラのがいい!」等という声も上がりました。また、「良かったね」とにじうおに気持ちを寄せる声もありました。私が子どもの頃に読んだ時も、うろこの綺麗さを「いいなあ」と思ったことを記憶しています。読む時の年齢やそれまでの経験によって、受け取り方も変化していくことを感じました。
同じ絵本を読んでいても、感じ方や捉える視点はそれぞれ違い、気になるポイントもそれぞれにあるようです。また、友達の発言によって新たな視点で考え始める子どもの姿もあり、そうしたところに、クラスでの読み聞かせの楽しさが詰まっていると私は思っています。
そうした読み聞かせの後の時間の他に、クラスの子ども達の頭の中での考えを垣間見れるものがあります。それは、子ども達がつくる俳句です。年長児は週に2回程俳句の時間に取り組んでいますが、「自分で俳句をつくってみる」ということを楽しむ姿も見られるようになってきました。お部屋で紙とペンを持って考えている姿もあれば、登降園中に歩きながら考える姿、ひみつの森の道中に思いつくということもあります。また、お家で考えた俳句を書いて持ってきてくれることもあります。その俳句の一つ一つに、「どうしてこの言葉が出てきたのだろう」「このテーマで俳句をつくろうと考えたのどうしてかな」と感じたり、「見たり聞いたり、体験したことが心に残ったのかな」と想像したり、興味深さを感じます。5・7・5という短い文字数だからこそ、その中に込められた思いや考えがより読み手の想像を広げることを改めて実感しています。そして、わかるという面白さとはまた違い、わからないということは面白さをどんどん膨らませていくことができるんだなということも感じている今日この頃です。
今回ご紹介した絵本は、他者と譲り合うことや一歩踏み出すことをテーマに描かれていると思います。ですが、別の登場人物に視点を変えることや誰かと一緒に読むことで、また違った受け取り方が出来るのではないかとも思います。ぜひ、お子様と一緒に楽しんでみてください。
文章/Kaoru先生