ことば6年(0412)(その1)

福西です。ずっと前のことになりますが、今号の山びこ通信で書ききれなかった、初回の授業のことを思い出しながら書いています。

このクラスは、高木彬先生からの引き継ぎとなります。

この日は、ガイダンスとして、私が一番伝えたいと思うことを伝えました。

このクラスには、Y君とKちゃんという二人の生徒が来てくれています。

Y君と私がはじめて会ったのは、4年生の「ひねもす道場」ででした。また私がY君のクラスをこのように受け持つのは、今年が初めてとなります。Y君は天体のことが好きで、いつだったか、Y君のお母さんが天体望遠鏡のことでたずねてこられたのを覚えています。Y君はよくサッカーの出で立ちで山の学校に来られ、明るくて気さくで、そして何より、(これは山びこ通信にも書きましたが)、素朴な感動を素直に表してくれます。そんなY君には心が洗われること、しばしばです。

Kちゃんとは、私は1年生と2年生の頃のことばのクラスを受け持ったことがあります。その時のKちゃんは詩作が好きで、静かな情熱に何度も驚かされたことがあります。『長くつしたのピッピ』が愛読書とのことです。Kちゃんも、ひねもす道場にほぼ毎回というほどよく参加してくれていました。(今では道場にはコンスタントに参加者がいますが、当時はKちゃん一人ということもよくありました。今の盛況は、Kちゃんが火をつけてくれたと言っても過言ではありません)。その頃、服や靴のデザインに興味があると伺ったことがあります。今はバレーボールに熱中されているようです。

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ところで、写真の葉っぱは、春落ち葉のたくさん舞う風の強い日に、幼稚園の一人の女の子がくれた葉っぱの一部です。その子は、せっかく見つけた葉っぱなのに、何度も何度も、こちらの姿を見つけては、差し出してくれるのでした。それも、まっすぐな目で、こう言い添えて。「おへやに、たっくさん、かざったら、きれいよ」と。そんな、まごころに触れた日がありました。

Kちゃんの詩のことを思い出したのも、その日のことでした。

授業では、二つの詩を紹介しました。一つ目は(以前このブログでもご紹介した)、『なくなるおちば』という作品です。

『なくなるおちば』 T.K.

秋になって、公園の木に黄色いいちょうのはっぱがなった。

十一月になり、いろんな木のはっぱがまいおりるころ、

みんながいちょうやはっぱをひろいあつめた。

でも、はっぱはなかなかへらない。

わたしも、一ど手のひらいっぱいにかきあつめた。

すると、二、三まいのはっぱがおちてきた。

そして春になった。するともうはっぱはなくなっていた。

わたしはふしぎに思った。

だから、今年はなくなってしまうのを見てみたい。

(2009年11月)

この詩の作者が、Kちゃんです。2年生の頃に書いてくれた作品です。最後の一行にある「だから、今年はなくなってしまうのを見てみたい」という思いは、おそらく大人になっても持ち続けてくれるものだと感じます。それなので、ある種の記念碑(その時を思い出させてくれるもの)として、ファイルの一番最初にはさんでもらうことにしました。

(その2)に続きます。