Less is more
十年目の挑戦
表題のカナ表記は「レス・イズ・モア」。著名な建築家のモットーとして知られる言葉である。「少ないことは多いこと」。過剰を諫め簡素を尊ぶ美意識が、わずか三語で表現されている。和歌や俳句の例を挙げるまでもなく、この美意識は古来日本文化の伝統を貫く精神であった。だが、今はどうか。
飽食の時代と呼ばれる昨今、表題の言葉は多方面で示唆を与えるように思う。エネルギー問題に関しても、膨れ上がった人間の欲望をどうコントロールするかという問題と無関係ではない。話を教育に限っても、「過剰」は至る所で目につくだろう。子どもたちを取り巻く環境は「自然」から遠く、無駄を通り越した電気じかけと装飾に満ちている。
他方で「過干渉」や「過保護」の問題もある。今はこれらが「問題」ではなく「日常」とみなされている。最近の若者は「言われたことしかしない」と批判する声を聞くが、小さい頃から「言ったとおりにせよ」と口やかましく指導(命令)してきた大人がそれを言うのはおかしい。
親の言葉を吟味すると、実際には教育ビジネスの受け売りに過ぎないケースが多い。つきつめるとそこに問題がある。ビジネスは恐怖を煽ることで購買意欲をかきたて、利潤を追求する。だが、大人に人間としての自信があれば、そうしたセールストークから一定の距離を取ることができるだろう。
先日ある保護者(父親)から、「私は『家では1時間以上勉強するな』と言っています」という言葉を聞いて目の覚める思いがした。これは借り物の言葉ではない。「(勉強も大事だが)それ以上に大事なことがある」という親の信念を伝える真摯な言葉だ。と同時に、(親にその意図があるかはわからないが、)こうして時間を制限した方が、子どもは集中して勉強する。
余った時間をどう使うのか。この答えを子どもに考えさせることはできない。教育の主導権はそれぞれの親が握っている。本当に大事な勉強とは何か。その場しのぎでない、将来に役立つ教育とはどのようなものか。父親も母親も、この問題を自分の問題として考えなければならない。
山の学校は設立以来一貫してこの問題を考え続け、具体的な教育を提案してきた。私たちの取り組みはあくまでも一つのヒントである。幸い、趣旨に賛同して下さる多くの保護者、また、一般会員のおかげをもって、この 4 月で開校十年目を迎えた。真摯に学ぶ会員の姿勢を通じて、私たち自身が励まされ、勇気づけられてきた。
表題の「レス・イズ・モア」は、文脈いかんでは「少数精鋭」と意訳してもよいだろう。私たちの活動は数字の大きさで誇示できるものではないが、講師の、そして会員の情熱の大きさは計り知れない。山の学校に限らない。本来の教育はみなそのような形で受け継がれてきた。幼児教育も大学教育も、また、家庭教育も・・・。
時流に流されず、学びのあるべき姿を大切にする者は、親も子も、教える者も学ぶ者も、いつの時代にあっても「少数」であるが、だれもが「精鋭」たりうる。論より証拠。私たちの情熱のほとばしりを次頁以下から汲み取っていただければ幸いである。>>クラスだより(pdfファイル)
山の学校代表・山下太郎