山下太郎
今のお子さんはクワガタやカブトムシが大好きです。授業前には、みな競うようにノートに虫の絵を描いています。描いても描いても飽きることなく描き続けます。「ああ、無心になるってこういうことだなあ。」としみじみ感じる瞬間です。
先日、少し早めに教室に行くと、一年生の男の子が、二年生の男の子にクワガタムシの絵をノートに描いてもらっていました。大人の目から見ても精緻なクワガタムシの絵ができあがりました。「おおすごい!」思わず私も見とれました。描いた子どもも、描いてもらった子どもも、どちらも満足そうでした。いい場面に出会えたなと思いました。
さて、絵の話をしたのには理由があります。10月に入ってからギアチェンジをし、授業で覚えた俳句をノートに書き取る練習を始めましたが――それまでは幼稚園時代と同様、耳で聞いて復唱していました――、子どもたちはまるで「絵を描くように」正確に筆写しようとがんばるのです。
実際、文字への好奇心はたいへん強いものがあり、私はひらがなばかりの手本を示すのですが、子どもたちは漢字交じりの俳句を手本として見せろと言います。私はまさか「毬」や「芭蕉」の文字を子どもたちが漢字で正確に書くとは思いませんでした(筆順は後で補足指導)。ちなみにこの日扱った俳句は、「行く秋や 手を広げたる 栗の毬(いが) 芭蕉」でした。
むろん、このような純粋な意味での「遊び」は、それが日常化してしまうと「遊び」の意味を失うでしょう。小学校とご家庭で、きちんと漢字の「山」や「川」といった基礎的な練習を繰り返しているからこそ、ここぞというときに「芭蕉」といった難易度の高い漢字にチャレンジしたくなる気持ちも芽生えるのだと思います。
裏を返せば、子どもたちの生き生きとしたチャレンジ精神に接するたび、私は日頃の生活の中でしっかりと基礎のトレーニングを繰り返している子どもたちの姿を思い浮かべることができるのです。そして、このチャレンジ精神は、冒頭でふれた昆虫を模写し続ける気持ちとどこか通じるのではないかと直感する今日この頃です。
(2005.11)