山びこ通信2016年度秋学期号より、巻頭文をご紹介します。
Disce gaudere(楽しむことを学べ)――「好き」と「得意」の思い出作りに向けて
山の学校代表 山下太郎
幼稚園時代と異なり、小学校に上がると数字による「評価」がついてまわる。しかし、チャレンジし続ける子どもにとって、「評価」はいつも脱ぎ捨てた過去であり抜け殻である。子どもは大人と異なり、一日で「苦手」を「得意」に変える力をもつ。乗れなかった自転車もたった一日で乗れるように。
大人は子どもの(教科の)欠点を見て見ぬふりは出来ないため、それを克服するよう促すが、いわば抜け殻を拾い上げて小言を言うようなものだ。そこに親心があるとも言えるが、課題の克服は本人の自覚を待つよりほかにない。大人が子どもの学習に口をはさむほど、子どもはやがて「言われたこと」しかしなくなる。つまりチャレンジする心を忘れていく。これほどもったいないことはない。
現実問題として、学校の勉強は「言われたこと」をするタイプの課題が多くを占める。しかし、チャレンジ精神旺盛な生徒は、日頃から先生の言葉に鋭敏に反応し、一を聞いて十を知る。また、課題として先生に「言われたこと」もポジティブかつクリエイティブにこなす力をもっている。苦手なジャンルが立ち現れても、勉強の仕方を工夫しゲームのようにクリアするし、その一方で元々「好きなこと」は、スポーツでも音楽でも、意地でも守り抜く。関心が学問に向かう子は、誰に言われなくても図書館で興味の赴くまま本を読みふける。
子どもには本来それだけのポテンシャルがある。それを目に見える形で実感出来るのが幼稚園時代である。今の子どもたちは、幼稚園時代にどれだけ五感を使って遊びこめるだろうか。その経験の有無が、その後の人生を――人間としてのポテンシャルの大小を――決定づけると言って過言ではない。「遊び」は工夫と挑戦とチームワークの原体験になり、「好き」と「得意」の感覚の基準を作り上げる。ビデオやゲームといった電気仕掛けの「お楽しみ」とは異なり、自分一人で、あるいは気の合った友だちとともに作り上げる手作りの遊びはお金もかからず、飽きることを知らない。泥団子しかり、虫取りしかり、鬼ごっこしかり。子どもたちは大人が思う以上に手間暇かけて「楽しさ」を追求し、子ども本来のポテンシャルに磨きを掛け、チャレンジ精神を養っていく。
「遊び」とともに重要な要素がもう一つある。子どもが「一を聞いて十を知る」タイプに成長してほしいと願うなら、幼稚園時代はもちろん、小学校時代にも本の読み聞かせを続けるとよい。読み聞かせのルーツは子守歌に遡るだろう。子守歌を歌う親は、子どもに何かを命令するのではなく、喜びと楽しさを分かち合おうとして自然に歌が出る。それと同じく、読み聞かせをする親の声は、子どもの「好き」の感情を安定させ、自信(自己肯定感)をわき上がらせる。それは子どもの言葉の感性を磨き、夢を与えると同時に何かに挑戦する心の根っこを守り育てるだろう。
子どもたちの活躍する10年、20年先の社会を思い描くなら、親は数値化された評価に汲々とするより、子どものチャレンジする眼差しを見守ることが肝心だと思われる。子どもの目線の先には何があるのだろうか。今も「三つ子の魂」を忘れず、一心不乱に何かに打ち込めているか、どうか。そう自問して、もしそうなら何も言うことはないし、もしそうでないなら、何かがそれを阻害しているのであり、自分に思い当たるところがないか、内に自ら省みるとよい。
単に「言われたこと」を忠実にこなしていれば、学校では問題なく過ごすことは出来るし、志望大学に合格することも出来る。しかし、その先が何より肝心である。大学に関して言えば、「学びたいこと」が何か、自分でもわからずに途方に暮れる学生は少なくない。その一方で、森羅万象に興味を持ち、「大学はフルコースのバイキングだ」と言わんばかりに何でも貪欲に学び続ける学生もいる。学歴以上に大事なのは生きる姿勢、学ぶ姿勢ということになる。
繰り返しになるが、子どもには本来無尽蔵とも言えるポテンシャルが秘められている。その力がどこに向かうのか、誰にもわからない。しかし、それは必ずや「何かよいもの」に違いない。今までもそうだったし、これからもそうである。親には幼稚園の入園前の不安な気持ちを忘れてほしくない。その後子どもは自立の道を一歩一歩歩むことで、たくさんの「出来なかったこと」が「出来る」ようになった。遡れば、赤ちゃんの頃を忘れてほしくない。手取り足取り教えたわけではないのに、子どもはある日つかまり立ちをし、いつの間にか、一人で歩き始めたのである。大人は黙って子どもの生きる眼差しと姿勢を見守るのがベストである。
子どもの「夢中」の眼差しの先にどれだけ大きく豊かな世界が開かれているかは、誰にもわからない。しかし、きっと学校に上がっても、赤ちゃんの頃、幼稚園の頃と変わらぬチャレンジ精神で、「すべき」ことを「好き」に変えて夢中で学び続けるに違いない。親のすべきは、そんな子どものチャレンジをよしとし、惜しみなく応援することであり、そこに親としての喜びを見出すことができれば上出来である。子どもが本来の「好き」と「得意」の気持ちに導かれながら学校生活を充実して過ごし、社会に出てからその経験を感謝でふりかえる。そして、一人でも多くの人にその感謝のお裾分けをしたいと願って仕事を創り、新たな挑戦を続ける者こそ、これからの世の中をよりよく、明るいものにしていくに違いない。「山の学校」は、そんな子どもたちの「好き」と「得意」の思い出作りをお手伝いする場所であり続けたい。(山下太郎)