山下です。
ラテン語の言葉に Non vitae sed scholae discimus.という表現があります。
ローマの哲人セネカの言葉です。意味は、「我々は自分の人生のためでなく、学派(学校)のために学んでいる」というもの。
自分の人生のために学ぶべきだというのがセネカの主張です。
本来は、Non scholae sed vitae discimus.(我々は学校のためでなく自分の人生のために学ぶ)と言うべきです。
「学派(学校)」のために学ぶとは、学派(学校)の名誉のために、それに貢献するような形で自分の学びを位置づけるというもの。
一人一人の人間が主か、学派(学校)が主なのか。
セネカの声は現代のわれわれの耳にどのように響くのでしょうか。
それをふまえつつ、リンク先の巻頭文をかつて書きました。