福西です。
その1からの続きです。
私が自身のたましいを揺さぶられたと感じた本は、いま思い返すと、三つあります。そういう本は、どこで読んだかも覚えているものです。
『二分間の冒険』(岡田淳、偕成社)。これは六年生の時にデパートの本屋で買ってもらって、家に帰ってさっそく、立てかけたコタツのそばで読みました。
『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス、高杉一郎訳、岩波書店)。これは研究室でパソコンを回しながら一人こもっている時に徹夜して読みました。
そして『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン、石井桃子訳、岩波書店)。これは保育士になりたいと思っていた頃に夢中になって読みました。(ちなみにファージョン作曲の「若葉おとめ」も弾けるように練習しました^^)。
上の三つのうち二つまでは、二十歳をすぎてから出会いました。だいぶ自我が形作られてからのことです。それらをもっと多感な十代で読んでいたら、どんなにかもっと影響されただろうなと思います。
ともかく、この三冊を通して、私も「自分のたましい」について「体験」し、少し知ることができたように思います。それらに共通する音色(読み返すたびによみがえる、普遍的な感触)は、次の二つです。
別れや子供時代の喪失による「切なさ」を基調とするストーリーであること。
それでも大人になってゆき、世の中を肯定する「明るさ」を、そのストーリーの底に湛えていること。
「切ないことがあっても、世の中を肯定して生きていくこと」、それがどうやら私のたましいには「好物」であり、「癒し」として効くようです。言いかえると、自分が子供時代にいろいろな人からもらった、基本的安心感(たとえば『トムは真夜中の庭で』の「庭園」)の再確認なのだろうと思います。
そして、過去の宝物である子供時代で得た安心感こそが、私を児童文学という港へといざなう「羅針盤」なのだと感じます。
ただしこれは私の場合なので、みなさんにもそれぞれの児童文学との出会い(再会)を体験してほしいと願っています。山の学校では、そのきっかけを作るお手伝いができればと思っています。
山下です。
貴重なお話をありがとうございました。自分の経験をふりかえり、何が今の自分を支えているかを思い出すとき、私達はその「よきこと」を子どもたちと共有したいと思います。親であれ、先生であれ、そのかぎり、上からの命令をくだす「大人」としてでなく、一歩一歩をともにする伴走者として、子どもたちを勇気づける存在になりえるのだと信じます。
山下先生、福西です。
コメントをありがとうございます。
>自分の経験をふりかえり、何が今の自分を支えているかを思い出す
人によっては、絵本や児童文学の作品を読むことが、そのきっかけに
なることがありますね。(私はそれがきっかけでした)。
思い出すことは、過去に生きることではなく、種を土に埋めるように、
未来に人生を深めることなのだと覚えます。ただ、それをするためには、
『モモ』のような暇が必要なのだと。だからこそ、その暇を得たときは、
なんとしてもその価値を守り抜き、「浪費しない」ことだと思います。
>命令をくだす「大人」としてでなく、一歩一歩をともにする伴走者として
「生徒と同じころの自分は、はたしてどんな様子であったか。
十歳では、六歳では、四歳では……」
と、そう思い出すかぎり(また思い出せなくても想像するかぎり)、
命令口調はだんだんと減り、「伴走者」に近づいていけるように思います。
「クローディアの秘密」「トムは真夜中の庭で」というラインナップを拝見していて、ひょっとして河合先生の著作の影響?と想像しており、次に子どもを迎えに行ってお会いする時にお尋ねしてみよう、と思っておりました。推測が当たっていて、なんだか嬉しいです。
私は、確か中3の時に、参考書だったか模擬試験だったかの問題文で、河合隼雄の『子どもの宇宙』の一節を読み、全部読みたいと思い、本屋に買いに行ったことを覚えています。岩波新書だったので、田舎の本屋でも手に入ったのが幸運でした。こんな勉強があるんだったらしたい、と思い、その後の進路が決まりました。あの時、あの文章に出会わなかったら、どんな人生だったかな、と時々考えます。そういう意味で、私の人生を支えている本の1つです。
子ども時代の喪失による切なさと、世の中を肯定する「明るさ」は、確かに児童文学が提供してくれる重要な要素ですね。最近の児童文学では、社会の現状を反映すればその「明るさ」まで描けない、という作品もあると思うので、少し前の時代の児童文学は貴重なテキストですね。
私自身は、一人で本を読むのが好きであり、人と共有することに慣れていないので、児童文学を読むクラスの受講生の方々と亮馬先生のことをちょっぴり羨ましく思うこともあります。これからもクラスの記事を楽しみにしています。
福西です。
武藤様、コメントをありがとうございます。
>最近の児童文学では、社会の現状を反映すればその「明るさ」まで描けない、
>という作品もあると思うので、少し前の時代の児童文学は貴重なテキストですね。
このことを言われて、はじめて気づきました。
「少し前」の作品を選ぶことは、前向きな意味を持つのですね。
ご指摘のおかげで、目が開けた思いがします。
>あの時、あの文章に出会わなかったら、どんな人生だったかな、と時々考えます。
そう思えるような本を、私は頭の中でギュッとしたくなります。
受講生たちもそういう本と出会ってほしいと願います。
本の影響って、「方向」に対して大きいです。
>一人で本を読むのが好き
『冒険者たち』(ガンバ)の作者の斎藤淳夫が、「大人のあずかり知らない
ところで一人でこっそり読む読書こそが、一番深い読書体験だ」という主旨
のことを、福音館文庫設立に寄せて書いた小文で書いていたのを目にし、
感銘を受けたことを思い返します。
それを前提に、クラスで本を読むことにはどのような余地があるのか、
考えます。