福西です。
(その1)の続きです。
Kisaka Toshiki君の詩です。
『さんご』──さんごの物語
海はとってもきれい。
だけど、ひとでは、ぼくのてき。
だって、ひとでは、きれいなさんごを食いあらす。
だから、ひとでは、きらい。
さんごは、ふやしても、すぐに
ひとでに、食べられちゃうんだ。
でも人間たちは、さんごをきれいだな、
きれいだなって、見てくれている。
これを記した記事を、山びこ通信の第1号に寄せています。
>>『ことばの風景』
私自身について思い出すと、「言葉を大事にしてもらったこと」が、社会を信頼するはじまりでした。幼稚園の年長の時、自分がそれをしてもらったことを、以下の記事に書きました。
>>『太陽ってなんぼある?』(北白川幼稚園・絵本通信より)
この時の先生に大事にしてもらった「詩」こそが、私の原点です。
「ことばのクラスを、なぜ私はするのか?/なにをするのか?」──そう今の自分に問いかけた時、「自分のしてもらったことをしたいと思うから/それをする」という声が返ってきました。
山下です。
大事なエピソードをご披露くださり、ありがとうございました。
教育は「恩のたすきリレー」ということに尽きますね。
以前ご紹介したことがあったかもしれませんが、アインシュタインも同じようなことを書いていますね。
福西です。
山下先生、コメントをいつも下さり、ありがとうございます。
>「恩のたすきリレー」
本当にそうですね。
「自然は無理しない」と言いますが、「してもらったことをしたくなる」という流れは、特別ふんばる必要もなく、むしろエネルギーが湧いてくるように思います。もし自分の行動が複雑多岐になってきて、エネルギーを無駄遣いしていると感じたら、いつもこの原点に返って、シンプルに則したいと考えます。