『クローディアの秘密』を読む(西洋の児童文学を読むC)2021/7/8(その2)

福西です。

その1)の続きです。

天使像のスケッチに対する態度は、ジェイミーとクローディアでは異なります。

ジェイミーは、「それが大金になるから、秘密にしたい」。

クローディアは、「それが秘密だから、秘密にしたい」。

秘密であるということ自体に魅力を覚えるクローディア。

一方「ふーん、そうなんだ」という感じのジェイミー。

この二人の対比が興味深いです。

 

物語では「取引き」「買収」「交換」「とりかえっこ」という言葉が出てきます。

しかし、クローディアがなしたのは、形の上では「秘密の交換」でも、本当はそうではありませんでした。

秘密は、情報とは違います。

言葉ではなく、言葉であらわせないものであり、知識ではなく、経験だからです。

クローディアは、そんな秘密を、夫人と「共有」したのです。

クローディアは冒険がほしいのではないわね。お風呂や快適なことがすきでは、冒険むきではありませんよ。クローディアに必要な冒険は、秘密よ。秘密は安全だし、人をちがったものにするには大いに役だつのですよ。人の内側から力をもつわけね。(…)秘密は人をちがわせます。だからこそ、家出の計画をたてるのがあんなにおもしろかったのです。秘密だったからです。美術館にかくれるのも秘密でした。

でも、そういうものは永久につづくものではありません。かならずおわりがあるものです。天使には、おわりがありません。クローディアも、わたしがしたように天使の秘密を二十年間も内側にしまっておくことができます。これで家に帰るのに女英雄にならなくてもいいことになりました……じぶんの心の中はべつとして

秘密というものは、虚実でいえば虚の力、あたかもしぼんだ風船を膨らませてくれる、空気のようなものを思います。

ところで、「じぶんの心の中はべつとして」という表現に、「?」となります。

いったい、これはどういうことなのでしょうか。

私が思ったのは、美術館(天使像)とクローディアとの包含関係でした。

クローディアは「美術館の中に」「自分を」隠してきました。しかし今度は「自分の中に」「美術館を」引越したのかもしれない、と思いました。

外と中の入れ替えです。

自分を外に対して秘密にするのではなくて、自分が外に対して秘密を持つこと。そうすることで、「天使にはおわりがない」ように、これからはどこに行っても、天使像と一緒に(抱きしめて)いられるのだと。

ともあれ、フランクワイラー夫人は、秘密を持ったクローディアが心の内側を満たされ、幸福であることを見てとります。

そしてクローディアも、フランクワイラー夫人との対談からいろいろと学びます。

・なぜ夫人は、天使像を専門家にゆだね、真贋を徹底的に調べてもらおうとしないのか。

・なぜ天使像について新しいことを勉強しようとしないのか。

・なぜ天使像を競売に出したのか。etc,etc…

しかしそれらは「読んだ方の秘密」ということで、割愛させていただきます。