福西です。
『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン、石井桃子訳)を今日から読み始めました。
この日は、「はじめに」を読みました。
この物語は「伝承」というぼかされた始まり方をします。
アドバセン地方に古くから伝わる「若葉おとめ」という子供たちの遊びを、作者自らが説明します。
この遊戯をするとき、子どもたちのひとりは、いまでも、皇帝のむすめになり、もうひとりは旅の歌い手になり、残りのものは、(この組には、六人以上いてはならないのです。)若葉おとめ、紅白おとめ、黄金おとめになりますが、これが、この遊びのなかの三つの役です。
作者は、その遊びが今となっては、すっかりあやまった形で伝承されている、と嘆きます。
ジョスリンにジェイン、ジェニファーにジェシカ、ジョイスにジョーン、これが、おとめたちのほんとうの名まえです。また、美しいとらわれ人、ジリアンの名も忘れられました。そして、旅の歌い手は、子どもたちにとっては、ただの旅の歌い手でしかなく、さすらいの詩人、マーティン・ピピンは、とらわれているひめの恋人とさえ考えられ、この恋人は、おのれの欲望のために、やかましやのおとめたちから花や指環や、牢のかぎをだましとり、おのれの小舟にうち乗って、ひめとともに海を渡って高とびし、それからのちはしあわせに暮らしました、ということになっているのです。しかし、これは途方もないあやまりです。
そこで、起源の物語を伝え、一般の誤解を解くためにと、作者は筆を執ります。
こうして読者の目の前に、マーティン・ピピンが現れます。
(その2)に続きます。