福西です。
(その1)の続きです。
叙事詩におけるカタログという手法は、下手をすると「これって誰?」となったり、マニアックな読者以外、眠気を催す恐れがあります。そうならないよう、詩人は逸話や装備品を語り、バラエティを駆使して盛り上げています。
そして一見、王たちのカタログは華々しくありますが、第6巻で見たローマ人のカタログ同様、悲哀に満ちています。
というのは、これらの何割かは、このあと戦死する運命にあるからです。
メーゼンティウスとラウススは10巻で、カミッラは11巻で、トゥルヌスは12巻で。
ということは、7巻のここは、ある意味、追悼スピーチ、葬送行進曲と言えなくもありません。
とくにカミッラの描写は、印象的です。
7.813-17(岡・高橋訳)
大勢の母親らが驚いて眺める。進み行く姿を見送るとき、
口は開いたまま、驚きに心を打たれる。ほら、王侯の誉れ高く
真紅の衣が滑らかな両肩を被っている、ほら、髪が黄金の
留め具で結い上げられている、ほら、携えるはリュキアの矢筒、
鋼の穂先をつけたミルテの牧杖だ、と。
これは一読目では、カミッラの登場シーンですが、再読目では、鎮魂歌にも聞こえます。
7巻冒頭で「さあ、いまこそ、エラトよ(…)戦列を、闘志の促すまま死へと駆り立てられた王たちを語ろう」
とあったのを思い出します。