福西です。
(その1)の続きです。
ところが、個展に出した絵には全部、マイケルの描いたおぼえのない「ケルピー」が描かれていました。マイケルは絶望し、個展をほうって逃げ出します。しかし世の中では、そのケルピーの絵こそが人気を博します。
何も知らないマイケルは、意気消沈し、故郷の海岸に戻ってきます。そこでまたケルピーの声を聞きます。
「おまえは約束をまもらなかった。初めておまえに会ったとき、おまえはこのみどりの海と灰色の砂、よせてくる波、白い石、黒い防波堤、金色の山のある海岸の絵を描くつもりでいた。それなのに、その絵は一枚も描いていない。おれが見たいのは、その絵なのに」
と。ケルピーが「会いたい」と言っていた母親とは、海岸の絵のことなのでした。
マイケルは、一心不乱にそれを描き、ケルピーの言う通り、完成した絵を海に投げ込みます。
すると、ケルピーとの最初の約束は果たされ、マイケルの絵にまぎれこんでいたケルピーは、いなくなりました。
けれども、マイケルはケルピーと別れたことを後悔します。
今度は「ケルピーに会いたい」と思って、海岸の絵を何枚も描きます。けれども、その後、ケルピーはもう二度と現れなかったといいます。
なんともいえない余韻のお話でした。
マイケルにとって、「世界一の絵」というのが、ケルピーのいる絵のことなのか、故郷の海岸の絵のことなのか。そこが両義的だなと感じました。
受講生も、「海岸の絵を描かなければ、ケルピーの絵の人気で世界一の画家になれるし、海岸の絵を描けば、最初のケルピーとの約束通り、世界一の画家になれる。どっちみちなれる」「でも、ケルピーの絵は、今は人気でも、飽きられるかもしれない」「ケルピーと別れることと、世界一の画家になれないことと、どっちがいやかなあ」といった声が聞かれました。