『赤毛のアン』を読む(西洋の児童文学を読むB、2022/7/1)(その1)

福西です。

『赤毛のアン』(モンゴメリ、村岡花子訳、新潮社)を読んでいます。

p56~61を読みました。第4章「『緑の切妻屋根』の朝」(Morning at Green Gables)の前半です。

「想像の余地」(scope for imagination)という表現が、ここでも出てきました。

 

翌日、アンは目を覚まします。窓からの眺めに、心を癒されます。

「ここには想像力の余地があるんだ」(There was scope for imagination here.)と。

アンは2章で、孤児院のことを「あそこは想像力の余地がなかった」(There was more scope for imagination)と言っています。

つまり、グリーン・ゲーブルズは孤児院のようではない、という対比が伺えます。

けれども、グリーン・ゲーブルズの居心地を知ってしまったうえで、去らなければなりません。夢と現実の落差にアンはがっかりします。ですが、昨夜ほどの「絶望のどん底」ではない気分です。

アンは、ただただこの世界が美しくてなつかしい、朝があることはうれしいことだ、と妙に哲学めいて前向きです。そして、一日だけでも、「かりにこの家の養子になる」という想像を楽しみます。

マリラが部屋に入ってきます。

アンは「あの木きれいね」から、「想像力について」の談義をはじめます。ですが現実的なマリラは、「さっさと着替えなさい」と言って、出て行きます。

そのそっけなさは、マリラの平常運転とは微妙に異なります。マリラはただ、何と言葉がけしたらいいかがわからないだけなのです。なるべく情がうつらないようにしているかのようです。

(その2)に続きます。