福西です。
『赤毛のアン』(モンゴメリ、村岡花子訳、新潮社)を読んでいます。
p56~61を読みました。第4章「『緑の切妻屋根』の朝」(Morning at Green Gables)の前半です。
「想像の余地」(scope for imagination)という表現が、ここでも出てきました。
翌日、アンは目を覚まします。窓からの眺めに、心を癒されます。
「ここには想像力の余地があるんだ」(There was scope for imagination here.)と。
アンは2章で、孤児院のことを「あそこは想像力の余地がなかった」(There was more scope for imagination)と言っています。
つまり、グリーン・ゲーブルズは孤児院のようではない、という対比が伺えます。
けれども、グリーン・ゲーブルズの居心地を知ってしまったうえで、去らなければなりません。夢と現実の落差にアンはがっかりします。ですが、昨夜ほどの「絶望のどん底」ではない気分です。
アンは、ただただこの世界が美しくてなつかしい、朝があることはうれしいことだ、と妙に哲学めいて前向きです。そして、一日だけでも、「かりにこの家の養子になる」という想像を楽しみます。
マリラが部屋に入ってきます。
アンは「あの木きれいね」から、「想像力について」の談義をはじめます。ですが現実的なマリラは、「さっさと着替えなさい」と言って、出て行きます。
そのそっけなさは、マリラの平常運転とは微妙に異なります。マリラはただ、何と言葉がけしたらいいかがわからないだけなのです。なるべく情がうつらないようにしているかのようです。
(その2)に続きます。