山びこ通信」の最新号を発行致しました(2013/11/1)。
巻頭文をご紹介致します。

「Ipse dixit. 子曰わく」

表題のipse dixit.(イプセ・ディークシト)は「彼自身がそう言った」という意味のラテン語である。元はギリシャ語であるが、二千年前のローマの文人キケローがラテン語で引用して以来、「権威に依拠した独断的断定」(英語でipsedixitismともいう)を戒める言葉として人口に膾炙するようになった。

事の次第は後でふれるとして、この言葉が『ギリシア・ローマ名言集』(柳沼重剛著、岩波文庫)において、「子曰わく」と訳されている点に注目したい。うまい訳だと唸らざるを得ない。と同時に、東西文化の相違に思いを寄せずにいられない。表題のラテン語と日本語訳について気づくことを述べたいと思う。

まず、ここで再び Ipse dixit.に戻ると、これはキケローの『神々の本性について』に見られる言葉である。キケローはこの書において、三人の話者を登場させ、神々を巡る諸問題――神々はいるのかいないのか、いるとすればどのような姿形をしていて、どこに住んでいるのか、等――について議論させる(全三巻)。正確に言えば、一人目と二人目は自説を述べ、三人目は両者の説を反駁する。この書の序において、キケローはあるべき議論の姿に言及し、次のように語っている。

議論を行うさいには、権威よりも理論の説得力こそ求められるべきである。じじつ、我こそは教える資格ありと公言する者の権威などは、何かを学ぼうとする人間にとってしばしば害をなす。なぜなら、学ぼうとする者は、やがてみずから判断することをやめ、自分が正しいと是認した人間の判断をすべて鵜呑みにするようになるからである。それゆえ、わたしはピュータゴラース派について耳にする風評をとうてい是認する気持ちにはなれない。すなわち、かれらは論争で何かを主張するさい、その論拠を尋ねられると、決まって「かの人自身がそう言ったから」と返答するのがつねであったと言われている。「かの人」とは他ならぬピュータゴラースのことであった。このようにピュータゴラース派のあいだでは、論拠もないままに一つの権威が絶対的な力をもつほどに先入観が支配的であったのだ。

(『神々の本性について』1.5、山下太郎訳、岩波書店)

表題のIpse dixit.の訳は下線の部分である。文脈上、主語はピュータゴラース(ピタゴラス)派の師を指すので、「先生がそう仰った」と訳してもよい。まさしく「子曰わく」である。キケローによれば、この学派の人間は、議論の論拠を求められるときまってこの言葉を口にした。「だって先生がそう言われたんだから(正しいに決まっている)」というニュアンスになる。

と、ここまで書いてきて、気づくのである。今見たように、西洋では「それではいけない」という意味で Ipse dixit.が引用されるのに対し、東洋の伝統はその逆である。「子曰わく」の表現は、孔子の言葉を紹介する枕詞として、常に心からの尊敬と信頼を込めて発せられてきた(簡野道明の『論語解義』を見ると、孔子の発言には「のたまわく」、弟子の発言には「いわく」とルビがふられている)。

もちろん、それぞれの文脈が異なるので単純な比較は禁物である。ただ、前者が「先生が言ったかどうかは大事ではない(=あなた自身の判断が肝心)」というメッセージを与えるのに対し、後者は「先生が大事なことを言われた(=ありがたく受け止めなさい)」と意訳できる点で、両者は対照的に見える。

日本人はこれまで何万回、否何億回「子曰わく」と唱えてきたのだろう。儒学の影響は戦後弱まったとされるが、それでも今なお私たちの心に影響を与えている。日本の社会秩序の安定は、儒学の教えと無縁ではないとも言われる。だが、他方において、もしこの精神風土が「権威への盲信」という一面を助長する可能性を持つものなら、それは民主主義国家にとって致命的欠点となる。

それではいけない、ということで、教育は本来「自ら学び、自ら考える人間」を育てることを目標に掲げるが、今の日本は国家が箸の上げ下げまで教育に介入している。生徒にとってイプセとは「先生」、学校の先生にとっては「文科省」がイプセである。イプセ自身はいつも絶対に「正しい」。だが、この関係は学問の自由を脅かす危険性をはらむだろう。なぜなら、「学ぼう(or 教えよう)とする者は、やがてみずから判断することをやめ、自分が正しいと是認した人間の判断をすべて鵜呑みにするようになる」からだ。

では、現状をどう打開するのか。問題の解決は国任せでなく、個人単位で考えるのが一番早い。それには読書。それには議論。日本で「議論」というと「言葉のボクシング」のイメージを持つ人が多い。この点、キケローの著作(『神々の本性について』)は示唆的である。彼は自らの立場を「真理を探究する目的から、すべての哲学者たちの見解にたいし批判も擁護も行うことを信条とする」(同 1.11)と規定する。自身の代弁者となる登場人物コッタは、先行する二人(エピクーロス派のウェッレイウスとストア派のバルブス)の意見を鋭く批判する。印象深いのはこの作品の最後の描き方である(キケロー自身、この作品には議論の聞き役として参加)。

これらのことを語り終えて、わたしたちは帰路についた。ウェッレイウスはコッタの議論が真実に近いと感じていたし、わたしにはバルブスのそれが真実の姿のかなり近くにあるように思われた。(同 3.95)

何気なく見えるが、これがどれだけ意味深長な表現であるか、おわかり頂けるだろうか。キケローは、コッタでなくバルブスに一票を投じているのだ。それに対し、どんなテーマでもよい、現代の諸問題をめぐる対立した意見に耳を傾けてみよう。それぞれの論者は、基本的に自説の正当性を信じて疑わず、対立する立場の意見には耳を傾けない。非難とヤジの応酬は国会の日常風景でもある。だが、キケローの描いた神々をめぐる論争は違う。ここで内容紹介を行う余裕はないが、少なくとも、議論の入り口と出口とで、自分も含めた参加者の意見が「変わり得る」ことが示されている。

Ipse dixit.は、別の訳し方をすれば、「あいつが言った(=だから間違い)」ということでもある。内容の是非でなく、誰の発言かが判断の基準になる。対立するグループの言説は、ただ相手が味方ではないという理由だけで、すべてを否定し非難する。本来は違うはずだ。ここまではわかる。ここからが違う、と緻密に線引きを繰り返しながら、参加者全員が一致協力して議論を積み上げていく。健全な批判精神が発揮される限り、異なる立場を乗り越えて、人々はより真理に近づこうとする努力を共有できる。キケローの作品が訴えるのはこのことである。

学校や家庭で知識の習得に励むことは尊いことだ。しかし、それを生かす議論の仕方をわきまえ、試行錯誤を繰り返しながら自分の言論を磨くこともまた、学校教育の中で十分経験すべきことである。例えば、ある論点について、賛成のレポートを書いた生徒には反対の立場のレポートも書かせる、あるいは、別の視点からのレポートを書かせる、というのが西洋教育の伝統である(その源流はギリシャ・ローマに遡る)。もし学校でこれをやらないのであれば、自分でやればよい。読書をしながら気になる論点を見つけ、異なる立場の意見も含めて多読と精読を繰り返す。それをふまえて書き上げたレポートは、後日自分で読み返して批判するもよし、できれば他者に添削してもらえればなおよい(恭しくお願いしたら、学校の先生は必ずコメントして下さるだろう)。

明治の先人はヨーロッパから多くの土産物を持ち帰ったが、一番大事なものを持ち帰らなかった。それは、洋魂、すなわちギリシャ・ローマの古典(=西洋の学問と文化を生み出した母体)であり、言論を重んじる教育の伝統である。明治開国当初、「和魂洋才」の呼びかけのもと、「洋魂」の研究は相対的になおざりにされたまま百五十年が経った。「和魂」は江戸時代のまま停まっている。それでよい、という人もいる。それではいけない、という人もいる。だが、どこから手をつければよいのか。私は、上で述べたように、「和魂」を再確認し、「和魂」の上に人類の「才」を生かす道を探るためにも、今こそ「洋魂」を根本から(=古典から)学ぶべきときが来ていると考える。我々が自己を知る――善いところも悪いところも――には、信頼に足る確かな「鏡」が必要なのだから。

山の学校代表 山下太郎