
福西です。
(その1)の続きです。
ところで、11巻309行目に、
「諦めよ。みなそれぞれに希望はある」(ponite. spes sibi quisque)
というフレーズがあります。
ラティーヌス王の言葉です。みんな自分の希望というものを持っているが、それは頼りないものだ、と。
人間の希望には、かなうものと、かなわないものがあります。
ディードーの恋も、トゥルヌスの勝利も、結局は「かなわない希望」に属します。また9巻でその死を歌われるニーススとエウリュアルスの功名も。そしてアエネーアスがトロイア側を勝利させることも、ユーノーがローマの興隆を阻むことも。みな「かなわない希望」に類します。
複数の希望のうち、運命(ユピテルの意思)に合致するものだけが、現実化することができます。
現実化するまでの希望は、まるで実体を持たない霊のようであり、6巻で見た冥府(から地上へ)の門の前に並んでいるかのようです。
最後まで実体化しないとすれば、それは虚しい(inanis)希望です。
しかし、虚しいからといって、無駄と完全に割り切ることができる者がいるとすれば、それは人間ではなくて、神になってしまうでしょう。
人間は神ではなく、死すべき存在(mortalia)です。その人間が描いた人間の歴史(res)の壁画に、アエネーアスは涙し、未来に対する勇気をもらいました。1巻の「ユーノーの神殿の絵」です。ここで、アエネーアスが涙したのは、神の啓示を直接受けたからではなくて、人間のすることが「心に触れ」(tangunt)たからでした。
(その3)に続きます。
山下です。
巻をまたいでのご考察、深い洞察だと感じ入りました。7巻以降は「より大きな仕事にとりかかろう」と詩人は自らを鼓舞しています。いよいよ「イーリアス」的な戦争がはじまります。どのような展開になるのでしょうか。10代の生徒さんだけでなく、大人の受講生も途中参加大歓迎ですね。
いつも楽しくMLを拝見させていただいてます。
もしアエネーアス講読会なるものがあるのでしたら、参加させて頂きたく存じます。