
福西です。
『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、西洋古典叢書)6.847-853を読みました。
英訳の『The Aeneid』(Robert Fagles訳、Penguin Classics)の該当箇所は、976-984です。
サビの箇所です。
「だが、ローマ人よ、そなたが覚えるべきは諸国民の統治だ。
この技術こそ、そなたのもの、平和を人々のならわしとせしめ、
従う者には寛容を示して、傲慢な者とは最後まで戦い抜くことだ。」(岡・高橋訳)
原文では、「統治」にあたる部分は、
regere imperio
レゲレ・インペリオー
支配権(インぺリウム)で(imperio)支配すること(regere)
です。支配という言葉はネガティブな印象がありますが、要はコントロールのことです。
そして「この技術こそ……」にあたる部分は、
hae tibi erunt artes
ハエ・ティビ・エールント・アルテース
これらの(hae)技術が(artes)お前(ローマ人)に(tibi)あるだろう(erunt)。
「あるだろう」と、未来形になっていることに着目しました。
叙事詩はふつうは過去を語ります。けれども「未来をも語る」。そこがウェルギリウスっぽいです。
次々回に読む、「お前がマルケッルスとなるだろう」の箇所もまた、「なるだろう」と未来形です。
「これらの技術がお前にあるだろう」と響き合う箇所です。
また、「技術」は、真似ることができます。
他の民族も、ローマ人の「ように」支配権(法、ルール)を運用する限り、(時空を超えて)ローマ人(の子孫)になれる……と、取れなくもありません。
そして「技術」というテーマは、ウェルギリウスの『農耕詩』にもあり、それについても触れました。
また、受講生のA君から、「ローマの法」について見識を伺いました。
十二表法は、その後1000年間ほど、成文法としての進化はほとんどなかったそうです。
そのかわり「書かれていない部分」のおかげで、地方の特殊事情に合わせて柔軟に運用することができたそうです。
それはまさしく「技術」、「職人技」といえるものだったと。
システマチックになったのは、ローマ法大全が出て、(すでに西ローマが滅んで)だいぶ後の時代になってから、とのことでした。
ウェルギリウスの時代の法を、私はてっきりローマ法大全のイメージでとらえていたので(たしかに時代が違いますよね)、前提がひっくり返り、大変有意義でした。
他にも、A君にはいろいろ教えてもらいました。
次回は、854-867を読みます。英訳の該当箇所は985-999です。