先週末土曜日の京都新聞朝刊に拙稿が掲載されました。
「希望と不安」をテーマとした内容です。
そこで「希望のあとを恐れが追いかける」というセネカの言葉を引用しました。
この言葉の前後を紹介します。
恐れは望みのうしろについてくる。そのような歩みに不思議はない。どちらも心がどっちつかず、つまり、未来に何が起きるか不安なために生じるのだから。だが、どちらとも、最大の原因は私たちが現在の事態に適切な対応をせずに遠い未来の事態に思考を先走らせることにある。こうして、先見という人間に与えられた最大の恵みが災いへと転じてしまうことになる。(セネカ『倫理書簡集』5、高橋宏幸訳、岩波書店)
人間に与えられた「先見」という恵みが災いをなす、という逆説を語っています。
大人にとって、いまさら「先見」を捨てる生き方は選べません。
未来を思い描く様々なイマジネーションの活動に小休止を与えるには、「今を生きる」意識を高めることでしょう。
このことを現代的に考察するうえで、スティーブジョブズの「ドットとライン」の考えが参考になるでしょう。
今を生きるとは、ドットを打ち込むことです。それが何につながるかは不確かでも、未来から今をふりかえったとき、ドットとドットが今につながるラインを見せてくれます。
頼りない考えだと人は言うでしょう。
しかし、それが不安に打ち勝つ一つに有力な考え方になるのです。
たとえば、「頼りある」考えにたけた人間の例として、日本昔話の「欲張りじいさん」をあげることができます。
一方、「今を生きる」代表として、日本昔話の「正直爺さん」をあげることができます。
目的意識の鮮明なのが前者。後者にそのようなものはありません。
で、どのような展開になったのかはみなさんご承知の通りです。
目の前の一つ一つのことに丁寧に取り組むこと。人生行路に真摯にドットを打ち込んでいくこと。
古今東西を問わず、言っていることは同じだと思います。