一郎先生の遺稿集を編集しています。

一度に全部載せるのは難しいほど、たくさんの原稿があります。

残された原稿を読んでいると、未完成の原稿がいくつか見つかりました。

今回活字にすることはできませんので、この場でご紹介させていただきます。

そんなの「ごめん」になってへん

幼稚園では、いまでこそ3才児の入園が主流を成していますが、北白川幼稚園が創立された昭和25年(1950年)の頃は、3才児の入園というのはごくまれでした。創立の年にはタッタ2人の3才児が、4才児のクラスに編入されているといった状態でした。

これは、その貴重な2人の内の淑子ちゃんに関するエピソードです。

いまはありませんが当時、園舎の玄関脇の植え込みのそばに、公園でよく見かけるような水飲み台が設置されていました。

その日は、初夏の日差しの眩いばかりに強い日でした。先生に手を引かれながら大きい子どもたちと鬼ごっこをしていた淑子ちゃんは、のどが渇いたので、ひとり水飲み台の前に駆けて行きました。

ちょうど5才児の修ちゃんが、水を飲んでいるところでした。淑子ちゃんは修ちゃんの飲み終わるのを後ろに立って待っていましたが、修ちゃんは水を飲むと言うより、水で遊んでいるという感じでした。長いこと待たされて痺れを切らした淑子ちゃん、

「まだか?」

と、恐る恐る声を掛けました。

振り向いた修ちゃん、相手が小柄な3才児なので、面白がって口に含んでいた水を淑子ちゃんの顔に向けてぷっと吹きかけると、前を向いてまた水遊びを始めました。淑子ちゃんは3才児なりの怒りが込み上げてきたようです。声を震わせ気味に、

「ごめん言うて!」

と、抗議しました。おどろいて振り返った修ちゃん、淑子ちゃんの意外に表情の厳しいのに気圧されたのか、

一寸の虫にも五分の魂

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