すでにお聞き及びかもしれませんが、私の父であり前園長であった一郎先生がさる8月21日、家族に見守られる中、自宅で静かに息を引き取りました(享年76歳)。生涯を幼児教育一筋に捧げた、文字通り真実一路の人生でした。

3年前に胃ガンの手術で胃を撤去しましたが、その後養生を重ねながら徐々に健康も回復し、1学期末の生活発表会には両日とも元気な姿を見せてくれましたが、一方では春ごろから食事が思うように喉を通らなくなっていました。

6月に検査したところ癌の疑いはないとの診断でしたが、7月末に受けた別の病院の検査結果では癌が腹膜に転移しており、手術による回復の見込みはないと告げられました。以後、父の希望により自宅で療養を続けておりましたが、お盆過ぎから次第に意識も遠のき、最期は眠るように目を閉じました。

亡くなる一週間前、父は子どもたち三人(私と弟、妹)を病床に呼び、次の話をしました。「自分の人生に悔いはなく、死について恐れはない。これから先も兄弟で力を合わせ仲良く暮らしてほしい。最後に葬式について2,3の注文がある。」と。

注文の内容はあっけないほどシンプルなものでした。第一に、葬儀は密葬とすること、そのさい、いったん顔を覆った布はとらないでほしいこと、そして第三に、死後に「お別れの会」などを開くことのないようにしてほしいこと。

最後の「お別れの会」について補足しますと、どのような形で会を開いても、多くの人の手を煩わせることになります。手を合わせてくださるお気持ちについては、それぞれのお立場で自分との関わりを思い出していただければ本望である、というのが父の気持ちでした。在りし日の姿をそのままの形で思い出していただくためにも、二つめの「布はとらないでほしい」という願いにも意味があったのだと今にして思う次第です。

3年前の夏に手術をした後、父は「園長便り」で『任せる』という一文をものしました。自分はこれまで仕事に全力で打ち込んできたが、今後はそれを若い世代に「任せる」ことを学ばなければならない。

この言葉通り、翌年の4月以降、父は園長として不慣れな私になにかとアドバイスしたい気持ちは人一倍強かったに違いありませんが、何一つ注意やアドバイスを私にすることはありませんでした。そこに私は「突き放す」のではなく、文字通り「遠くから見守る」父の姿勢を感じました。

一方私自身判断に迷うときには、言葉としては無言のやりとりであっても、”父ならばこのときどうするだろう?”と常に心の中で問いかけてきたのでした。

父は「お別れの会」を開かないでほしいという自分の気持ちについて、その真意を保護者の皆さんにお伝えしたかったようです。病床で絞り出す言葉を母に書き取ってもらい数行したためましたが、やがて言葉も不自由になり書きかけのまま残っています。

普通なら盛大な式を行うはずの創立50周年の記念式典も、”どの一年も同じ一年である”として園としては行わなかった、父らしいエピソードだと思います。

私自身は、そんな父の姿を思い出すたび、”いつも日々の保育を想うように!”、”子どもたちと保護者のことを想うように!”、”幼児教育の本質を見つめ続けるように!”という父の言葉が今もありありと聞こえてくるのです。

(平成17年9月1日)

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