この穂は朝から雨降りの一日でしたが、年少さんもかさをさしてつきぐみのお部屋に移動し、みんなで4月生まれのお友だちのお祝いをしました。年少・中、年長がそれぞれ歌のプレゼントをし、先生たちも出し物をして楽しい時間を過ごしました。最後に私が以下の話をして子どもたちを励ましました。
内容は、「みんなは赤ちゃんじゃない」というメッセージでした。要点をまとめると次の通りです。
1)みんなは赤ちゃんではない(=みんなには力がある)。
2)雨がふっても歩いて登園することは赤ちゃんにはできない。
3)泣いている子の涙をハンカチでふくのは赤ちゃんにはできない。
4)落ち葉を集めて落ち葉入れに入れるのは赤ちゃんにはできない。
5)お片付けの声を聞いて、床に落ちた色紙の切りくずをゴミ箱に捨てるのは赤ちゃんにはできない。
6)「ライオンの前がたいへんなことになっている」と気づき、葉っぱの掃除を実践するのは赤ちゃんにはできない。
1)は言わずもがな。2)はこの日の朝の登園時に全員が体感し、納得できる話です。3)も日常見聞きする話題です。
4)は日常的に園庭掃除のお手伝いをする姿勢が芽生えていることをふまえたものです。私は、「先生がいくらがんばっても、みんな一人ひとりがその手で葉っぱを拾ってくれるほうがいっぺんにきれいになる」と付け加えました。
5)は部屋の中に入って気づいたことで、ある年中の女の子はお片付けの際、それまで色紙をはさみできって生じた切りくずを丹念に手で拾い、ごみ箱に捨てていました。
6)は先日の雨と風の後の登園日。ひみつの庭のライオンの前にたくさんの葉っぱがたまっていたのを見て、年中の男児が「たいへんなことになっている!」と先生に報告。「ほんとね!」と先生も周りの友だちもみんなでピカピカになるまで掃除したエピソードを踏まえています。
ところで、この日は朝から調子が悪かった年中女児がいて(=甘えたい気持ちが強く出ていて)、私が上の話をして席に戻ると、膝の上に乗ろうと近くに来ました。
私は「Aちゃんはいくつかな?」と尋ねると指を2本立てました。「Aちゃんは赤ちゃんじゃないね」というと、上の話を思い出しのか、しばし間を置いたのち、指を2本足して4本にしました。「そう、4歳だね。じゃあ次はいくつ?」と聞くとやや笑みを浮かべて5つの指を全部広げました。
2本の指のまま「よしよし」と甘やかしてもらうことも一つの道。しかし、それは上の1)を否定し、「ま、いいか」となにかに妥協する道でもあります。「いや違う。わたしはもう赤ちゃんじゃない」。そう自分で自分に言い聞かせ、決然と指をつけたしたその態度は幼児といえあっぱれだと思いました。
上の2)から6)は私が日ごろ子どもたちと接する中で見出した「あっぱれ」だと感じる事柄です。言うまでもなく、その一つ一つは大人の私たちも見習わないといけない態度でもあります。今例に挙げた2本の指を4本に変えることも同様です。大人にとって、感情がある一定方向に傾いたとき、その気持ちをリセットするのは、なかなかできないものです。
教育の要諦は、A)「ほめるに値することを見つけほめること」だと思います。これは言うは易く行うは難しです。B)「ほめるに値することをほめない」とか、C)「ほめるに値しないことをほめる」のが一般だからです。
私自身、子どもたちと接しながら、いつもA)を心がけるようにしていますが、それには自分の目をもっとよく見開かないといけないと日々感じているところです。