山びこ通信– category –
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2017-08-07 「子どもは大人の父である」考
タイトルはよく耳にする言葉です。 イギリスの詩人ワーズワースの言葉です。 あわせて、サンテグジュペリの「星の王子さま」にある、「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない」(岩波少年文... -
2017-08-06 大人の言葉、子どもの心
反芻という言葉があるように、夏休みは同じことについて何度も考えています。 自分が以前書いたエッセイがよいきっかけとなります。 >>大人の言葉、子どもの心 ――思い出を力に変えて 子どものころをふりかえり、感謝したい先生方のあの一言、この一言、と... -
2017-08-05 時代の扉を開く鍵
少し前に書いたエッセイを読み返しました。 >>時代の扉を開く鍵――草の根の教養教育とラテン語と われながらドン・キホーテ的なことを書いていると思いますが、おそらく150年前にクラシック音楽に取り組み始めた人たちも同じような気持ちだったと思います。... -
2017-08-04 「力があると思うゆえに力が出る」
山びこ通信に書いたエッセイを読み返しました。 >>「力があると思うゆえに力が出る」 二千年前のローマの詩人の表現ですが、今にも生きる言葉として欧米では人口に膾炙しています。 -
2017-07-31 「私は人間である」
山びこ通信に「Homo sum. 私は人間である」と題したエッセイを書きました。 人間の人間による人間のための教育というのを考えていく必要があると思います。 その意味で今後「哲学」の果たす役割はますます重くなると考えられます。 哲学(ピロソピア)は語... -
2017-07-30 「素読と子どもたち」
以前「素読と子どもたち」というタイトルでエッセイを書きました。 素読教育について小林秀雄が次のようなことを対談で述べています。少し長いですが引用します。 小林: 素読教育を復活させることは出来ない。そんなことはわかりきったことだが、それが実... -
2017-07-28 文学部で学んだこと
山びこ通信の巻頭文に載せた記事を読み返しました。 >>「文学部で学んだこと──100年先の世界のために」 幼児教育に携わりつつ、そこに軸足を置きながら、ただ、そこだけに専念すれば良いとは思いません。一人の国民として、大人として、子どもたちの巣立ち...