山びこ通信– category –
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2025-09-28 「私は人間である」再考
今から30年前の1995年がインターネット元年と言われるように、2025年はAI元年と呼ばれる時が来るでしょう。 ちょうど10年前に「私は人間である」と題するエッセイを「山の学校」の機関誌に書きました。朝から再読し、日本が長い年月をかけて育んできた幼児... -
2025-08-15 AI時代と子どもたち
6年前のエッセイを読み返しました。 言いたいことは同じです。 補足すると、子どもたちが末広がりに「学ぶこと」への興味を持ち続けるうえで、幼児期の遊び──できるだけ「自然」の中で五感を働かせて遊ぶ──が大事だということは、時代が変わっても間違いな... -
2025-08-12 真似ること
以前書いたエッセイの一部です。 子どもは模倣や真似が大好きです。模倣は尊敬の別名であり、子どもたちは何かに憧れ、何かを尊敬したくてたまりません。それは人間として本来備わっている「真・善・美」を追求する欲求に合致した自然なことだと思います。... -
2025-08-03 「三つ子の魂」の行方──幼児教育と学校教育をめぐって
昨日の続きで、次のエッセイを読み返しました。 >>「三つ子の魂」の行方──幼児教育と学校教育をめぐって 世の中が今のように余裕がなくなると、「子どもの心」はあとまわしになりがちです。 自然環境と同じく、守るべきは「子どもの心」だと私は強く感じて... -
2025-08-02 大人の言葉、子どもの心 ――思い出を力に変えて
以前書いたエッセイを読み返しています。 >>大人の言葉、子どもの心 ――思い出を力に変えて 10年前は月一で「論語の素読」を担当していました。体が二つ、三つあれば、今でも続けたいのですが。 幼稚園の子どもたち、山の学校の子どもたちを前にすると、そ... -
2025-04-03 「三つ子の魂」の行方
私はあちこちで、「三つ子の魂<を>百まで」(持ち続けてほしい)と述べています。 古代ローマの哲人にセネカがいて、『人生の短さについて』と題する作品を残しています。 哲学書というよりも、現代風の人生論といった趣の作品で、かのミヒャエル・エン... -
2025-04-02 何かよいこと(Something Good)
これをやるとあれに効き目がある、等、わたしたちは、日々「これは何のためになるのか?」確認し、効能が期待できそうだとアクションを起こします。 それとは逆に、これが何かのためになると思わずに無意識によかれと思って行動することの積み重ねで、将来...