今から6年前に「AI時代と子どもたち」と題するエッセイを「山びこ通信」に寄稿しました。
その後のAIの急速な発展、浸透を見る中、一方、卒園児の多方面にわたる充実した活躍を見聞きする中、ここで書かれた内容は今も書き換える必要はないと思っています。
AIにできないことの一つは、「喜んで学ぶ姿勢」ではないでしょうか。
それは、「学ぶことを楽しむ力」でもあり、「知らない不便」を乗り越え、「知る喜び」を味わう姿勢であるともいえます。
山があっても登らないのか、ドライブウェイやロープウェイで山頂まで快適に連れて行ってもらうのか、汗をかいて自分で歩いて登るのか。
比喩的に言えば、これらの選択肢の中で、「歩いて登る」喜びを知ることが、また、その経験を広く、深く、豊かに持っていることが、AI時代には光り輝くと私は見ています。
知識の多い少ないで競うことは前時代の遺物となり、学ぶことを楽しむ姿勢をもった人が他者を励まし、喜びの種を広める力を持った人として重宝されるのではないかと思います。
学ぶとは、必ずしも学校の勉強に限定した話ではなく、スポーツや音楽、芸術すべての領域も含めます。
幼稚園時代は、喜々として学ぶ経験の基礎を培うところです。
楽しさを外から提供される受け身の姿勢が楽しさを味わうことではなく、現実のさまざまな不便を楽しさに変えて楽しむ工夫をいかにこらしたかが重要です。
そして、それは人間関係に関しても言えることです。
そうした経験の数々は家の中では味わえないものであり、やはり幼稚園は社会的に必要な教育機関だと思います。