今日は保護者会でした。

子どもたちの今の様子をお伝えしましたが、子どもたちを見ていて感じることは、よく色々なことがわかっている、ということです。

引率のサポートで列についてくださる保護者と涙の子に付き添う保護者の違いはもちろん理解していますし、年少児にはがんばって石段を一歩一歩登ることへの共感と敬意を心の底で抱いています。

年少さん同士、号泣する子がいても、そっとティッシュをもって寄り添う子もいます。

それぞれのご家庭でこれまで自分が受けた「優しさ」を形にする機会を子どもたちは心の中で探しています。

幼稚園は泣いてはいけないところ、と子どもなりに思い込んでいると、こらえきれずに涙することがあります。

それでも幼稚園生活はなんとかなる、先生は優しいし、お友だちも助けてくれる、とわかれば、いざとなれば泣いてもいい、と安心できます。

だから、ずっと泣き続けてやろう、と思う子は一人もいません。

どの子にも自尊心があり、自らの意志で、いずれ涙を卒業したい、と思うようになります。

急がば回れ、という言葉のように、あせらず、あわてず、すべては大きな何かに委ねて、子どもの自信の発揮を見守るのがよいでしょう。

「いついつまでには絶対~ならねばならぬ」と決めてしまったのでは、大人も子どもも苦しいです。

おおらかな気持ちで見守る、というのは他力本願的に聞こえるので、無責任と紙一重のようにも思われます。

しかし、その逆の「責任感」という意識が、自分にも子どもにもプレッシャーを与えていることが多々あります。

そして、園生活を楽しむ、ということを実現する上で、その本来の意味での「主体」は親でなく、子どもです。

「責任感」という言葉を使うなら、それを親が全部背負うのでなく、といって子どもに全責任を押しつけるのでもなく、子どもと上手に二人三脚で分かち持つのがよいでしょう。

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