拙著『お山の幼稚園で育つ』(世界思想社)の中に「歩く」という章があります。
入園前の保護者から、「うちの子は全然歩かなくて困っています。ここの幼稚園に入ったらちゃんと歩けるか心配です」と言われることがあります。私はいつも「心配ご無用です」と答えます。帰り道に疲れて居眠りした年少児を抱っこすることはありますが、「歩くのはいや」と言って駄々をこねるお子さんには今まで一度も出会ったことがありません。
大人の目で見ると、歩いての登園は大変だと思われますが、子どもたちの本音は「こんなに歩けてラッキー」というものではないでしょうか。純粋に歩くのが好き、ということに加え、遠足のように手を繋いで歩く経験が楽しいということに尽きると思います。
ご家庭で子どもの「歩きたい」という気持ちを満たすにはどうすればよいかを考えてみます。私は親が子どもを「歩かせたい」という気持ちを持てば、それですべてうまくいくと思います。逆に、その気持を持つことが困難な時代だといえます。忙しい現代社会であえて「歩く」選択を行うことは大人にとって簡単なことではありません。
しかし、便利な現代社会だからこそ、ほんの少しの不便をあえて経験することは、人生を能動的に生きる上で大事な鍵になります。「歩く」という経験は、家族でそれを分かち合うことによって、楽しい思い出づくりになります。本園の徒歩通園が示唆するのはこのことです。
未来の予想は難しいですが、人間が人間である限り、100年先も人は歩くのだと思います。
山は山として残り、人は不便を承知で、100年先にも、山登りをしていることでしょう。
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