以前山びこ通信に書いたエッセイを読み返しておりました。

学問を守り育てる精神は、ギリシアのアカデメイアに遡ると思っています。

それは人間の学としてキケローが受け継ぎ、ルネサンスの「再発見」につながります。

今後社会がどのように変貌を遂げようとも、人間が人間である限り、人間の教育はフーマーニタース(人間であること、人間の学)と無縁ではありえません。

和魂洋才という言葉が、洋魂そのものといえるこの「人間の学」を探求することをためらわせ、なおざりにして今に至ります。

学校教育で、プラトンやキケローの翻訳を読む機会はおろか、その名前を耳にし、彼らの思想を語り合う機会も皆無です。

山の学校では、「人間の学」を中心にすえて今後とも取り組んでまいります。それが、幼児教育を終えた子どもたちの飛び立つ教育の場を自由闊達で心楽しいものに変える道につながると信じるからです。

>>Homo sum.私は人間である

関連記事: