知識であれ技術であれ、時代が進む中で、自宅に居ながらにしてその取得方法が洗練され、幼児期において大きな成果を生むことが可能になったように感じられます。

幼稚園で学ぶものはいろいろありますが、今ふれた、そうした方法論を効率的に集団教育に適用し、その著しい成果を保護者にアピールする道もあります。

それに対して、私の園で大事にしていることは、10年前も50年前も変わらないもの、言い換えるなら、50年先にも、100年先にも変わらないものです。

具体的には、「歩いて登園」、「遊びは学び」、「自然は友達」の3つのポイントについて、ホームページで説明しています。

2千年以上語り継がれる言葉があります。

それは「私は人間である」というローマの喜劇作家の言葉です。

「人間に関わることで自分に無縁なものは何もない」という言葉が続きます。

西欧社会では多くの人がこの言葉を座右の銘にしてきました。ヒューマニズムのルーツになる言葉です。

人は人間相互のかかわりの中で譲ったり、譲られたり、助けたり、助けられたり、力を合わせて一人ではなし得ないことを成し遂げたりしながら、生きる自信を深め、前に進む勇気を得ます。

クラスという子どもたちの作る小さな社会はその縮図です。

「幼児教育」という言葉を聞くと、冒頭でふれた知識その他の技術の指導を連想する人も少なくないのですが、私が日ごろ用いる「幼児教育」はむしろすぐに成果の現れないものを対象にしています。

歩いての登園は足腰が強くなるだけでなく、自立心を養います。年下の子を大切に思う気持ちも育みます。

自然の懐に分け入り、季節の変化を肌で感じる経験から、子どもたちは言語化できない多くの学びを得ています。

友と出会い、遊びを工夫し、時を忘れて何かに打ち込む経験もしかり、です。

これをすればあれに効く、というたぐいの即効性のある学びではないかもしれませんが、人生にとって本質的に重要なものを見つめています。

すべては子どもたちのために。そのゆるぎない方向性のもと、私たちは保護者のご理解とご協力を得、子どもたちひとり一人を見守り、お育てしていくことが可能になるのです。

もちろん価値観に絶対はありません。

ただしかし、「人生は一度切り」。これは絶対不変の法則です。

そのうえで「人生」という言葉をつぶやくとき、「豊かな人生」とは言いますが、「便利な人生」とは言わないように思います。

ことさら「便利」がもてはやされる時代となり久しいですが、それがすべての価値を代表するのではありません。むしろ、本当に大切な価値観を駆逐する恐れがあります。

本園の取り組みは、光の当て方ひとつでは、「便利」と相いれない部分が大きくクローズアップされますが、すべては「子どもたちの豊かな人生のために」何ができるかを考えた結果であり、そのことを通じて、真の意味で「子育て」をする保護者を「支援する」道において貢献できると信じる結果であります。

教育という「子育ち支援」こそ、世に言う「子育て支援」の原点であるべきと考えます。

もちろん人の世の常、百点満点はこの世には存在しません。これからも、上で述べた理想への道程を一歩ずつ登っていきたいと考えています。

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