以前「山びこ通信」(山の学校の機関誌)に寄せたエッセイを読み返しました。
題して、「「勉強が出来る」ということ――行いて余力あらば即ちもって文を学ぶ――」
今から20年近く前の文です。
今読むとひねりのないありきたりのことを書いていると思いますが、大学生の学力をめぐる状況は、当時より今はいっそう深刻のようです(現役の先生方から耳にする話と、私自身非常勤に行っていて感じることを総合して)。
知識の多寡を競っても学力は先細りするだけだと思います。
大きな花を咲かせるにはどうすればよいか。
子どもの身になって自分の学びの歴史を振り返れば答えは浮かび上がるはず。
本当に大事なことはなにか、子どもの教育に責任を持つ立場の者が日ごろからそのことについてよく話し合い、方向性をしっかり定めることが一番重要です。