今日は参観日でした。
私は年長のクラスに行って子どもたちと俳句に取り組みました。
前回紹介した一茶の「猫の子の ちょいとおさえる 木の葉かな」を全員で繰り返し朗唱しました。
続いて一学期の最初に習った俳句から順におさらいをしました。
みなしっかり声に出して言うことができました。
園児の俳句もこのところよく集まるようになりました。
紙に書いて届けられた俳句はすべてファイルに記録し、すべて返却しています(思い出の記録として)。
そのころ園庭では、年少・年中が外遊びをしていました。
保護者がたくさん来て頂いた中、子どもたちはふだんとさほど変わらぬようすで好きなあそびに興じておりました。
みなお気に入りの場所があって、一つの取り組みにずっと集中している姿が多く見られました。
個人差があって、あちらからこちら、こちらからあちらに移動しながらさまざまな取り組みをして遊ぶ子もいれば、遊ぶ場所、遊ぶ相手が固定化され、ずっとそのあそびを続ける子もいます。
言えることは、次の一点でしょう。
すなわち、あそびを通じて子どもたちは心に将来自分を支える「思い出の風景」を描いている、ということです。
星野道夫さんがそれを代弁してくれています。
子どものころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。–星野道夫『長い旅の途上』より
先日は大学受験を控えた卒園児が一人で放課後の幼稚園に来たことがあり、この言葉を思い出しました。
さっそくですが本日の外遊び(年少・年中)の一コマをえにっきにまとめました。