今日は憲法記念日です。
幼児教育に関わる者として「国民主権」について思うところを述べます。
その理念を尊重し民主主義を守るのであれば、主権者たる国民の教育の意義はいくら強調してもし過ぎることはありません。
三つ子の魂百までと言われるように、教育の基礎は幼児教育にあります。
ところが我が国の幼児教育の伝統は風前の灯火のように見えます。
「子育て支援」も大切ですが、幼児教育の本質は「子育ち支援」です。
小学校以上の教育に目を向けても現場の疲弊は異常事態です。
大学教育も同様です。加えていえば、大学の研究環境も悪化の一途をたどっています。
OECDの調査によると、2017年の初等教育から高等教育の公的支出がGDPに占める割合は、日本は2.9%で38か国中37位でした。OECD平均は4.1%、最も高いノルウェーは6.4%でした。日本は先進国の平均よりも教育への公的支出が低いと言えます。
その理由をAIに聞くと、次の答えが返ってきました。
1. 日本は少子化が進んでおり、人口全体に占める在学者の割合が低いため、教育に対する公的支出の需要が減っている。
2. 日本は家計からの教育支出が多く、教育に対する家計負担が重いため、公的支出の割合が低く見える。
3. 日本は教育費を優先的に配分する予算制度や政治的な意思決定が不十分であるため、教育への公的支出が増えにくい。
これらの理由は、相互に関連している可能性もあります。
1. に関して、放っておくとますます少子化が進むから政治の力によって公的支出の割合を高くする必要があるでしょう。
2. は一つ目と同じ話で、家計からの教育支出が多いのは、公的支出の割合が低いためにほかなりません。
3. は、この問題を解決するのは政治の力によるほかないということであり、政治の力とは世論の力のことです。
憲法論議の大前提として、付和雷同的な国民が増える方向でなく、主権者の自覚をもった国民が増える方向で教育が充実するべきです。
しかし、現実にはその点がなおざりにされ、あるべき逆の方向に傾いているのではないか、というのが憲法記念日に寄せる率直な私の思いです。