今日は晴天に恵まれ、無事に卒園式を終える事が出来ました。
「終わりよければすべてよし」という言葉がありますが、入園式はたしか雨でした。
と思って記事をさかのぼると、たしかに雨のため、室内で記念写真を撮ったと書いてあります。
子どもたち、否保護者のみなさんの熱意を受けて、天気の神様も晴天にしてくださったように思います。
例年感じることですが、とくに今年の卒園児たちは卒園証書を受け取る姿勢が立派でした。
最後の一人が証書を受け取るまで、全員姿勢を崩すことなく、お互い「おめでとう」の気持ちを拍手にこめて互いに祝福しあうことができました。
謝恩会は、心のこもった温かい会でした。
今日のお天気のように晴れやかな気持ちで終始楽しませていただきました。
お食事会の飾り付け、お弁当、進行すべてにわたって心づくしの数々に出会い、感動することしきりでした。
たとえば、テーブルに置かれた松ぼっくりは、転がらないよう底面に細工がほどこされていました。
人形劇は、よくぞあのようなシナリオを考えられた、と深く感じ入りました。
どれだけの手間暇がかかることでしょう。
人形を作り、背景を用意し、演技、音響、すべてを工夫し、練習し、本番で最高のパフォーマンスを見せてくださいました。
楽団の奏でる音楽は、息もぴったりで会場全体を音を楽しむ空気一色に包んでくださいました。
私のビデオは作る段階が楽しくもあり、寂しくもあります(これが完成するともうお別れだと思うため)。
作りながら、子どもたちと過ごした数々の思い出が脳裏を駆け巡ります。「あれも、これも」と選んでいると24時間バージョンができあがります。
(えにっきはダウンロード自由ですので、これを機にご家庭でお子さま中心のスライドショーをお作りになってもよいかと存じます。)
最初に保護者よりちょうだいした御礼のお言葉は、身に余るものでした。私達にとって宝物のようにありがたく、今後ともご期待に添えるよう努力を続けていきたいと思いました。
最後に私がお話した内容を要約すると、子どもたちには、人間としてのバランスを大切にして学校生活を楽しんで下さい、というものです。保護者の皆様には、一人ひとりのペースを大切にして、これからも子どもたちの応援をよろしくお願いします、というものでした。
蛇足ですが、なぜ「人間とはなにか」という問いを子どもたちに投げかけたかというと、それはすこし難しく言えば、哲学の問いを忘れないでいてほしい、という私からのメッセージにほかならないからです。
学問に実学と虚学があるとすれば、両方で全体なのですが、我が国は実学を重んじ、虚学を軽んじる風潮があります。そして、それは学校のカリキュラムにも反映されていると私は見ています。
子どもたちはみんな小さな哲学者です。「なぜだろう?なぜかしら?」という問いを発する主体であり続けてほしいと願います。
学校の先生の「解答」ありきの「問い」に答えることが学校の勉強の中心になります。それは大切に違いありませんが、世の中を見渡すと、楽しい学びの連続であるというよりも、「競争の手段」になりがちです(「科挙」の影響か)。
自分で「なぜだろう?なぜかしら?」と問い続けた三年間。だからこそ、わくわくと楽しい発見と驚きの連続の三年間。
この経験を絶やすのは簡単です。親が人生とは何か、人はなにのために生きるのか、という哲学的問いを考える限り、安易に子どもたちを「競争」に駆り立てることはしなくなるでしょう。
競争に負けたらどうする?という問いに対しては、競争に勝って何がどうなるのか?と冷静に考えてみたいです。前提とする社会システム自体、今後10年、20年先は誰にも予想できない形になっているでしょう。
人間とは何か。人間にしかできないことは何か。真心を込めた仕事とはなにか。人の幸福に自分を生かす道はどこにあるのか。
どんなにがんばっても100点の枠を超えない「満点のある学び」は、子どもたちの深く広い問いに答えるには十分とはいえません。
願わくば、親と子が大事な問題についておりにふれて語り合い、互いが互いに刺激を与え合う関係を保ちつつ、未来を築いていただきたいと思います。