「絵本とこども」というタイトルで以前書いたものを再掲いたします。
『絵本と子ども』
『絵本通信』総括(2003年)
文章 山下太郎
昨年夏より、毎月一回「絵本通信」をお届けして参りました。今月号で、全ての先生に1冊ずつ絵本をご紹介頂いたことになります。
一般の書評とは違って、中には古い本、絶版の本も紹介してありますので、どこにも目指す本が見あたらないということもあったかと思います。最新の絵本の紹介もよいのですが、本園の「絵本通信」では、それぞれの先生がご自分の思い出の一冊を紹介することに意味があったと思います。このことにより、はからずも各先生がご自身の幼少時の思い出を披露して下さることになりました。
どの先生のどの文も、母親に絵本を読んでもらった喜びを伝えています。
「お母さんに毎晩繰り返し読んでもらった思い出の一冊」
という共通のフレーズは、今幼稚園に通っておられるお子さんの目で見た読書体験を代弁しています。お子さんは本を読んでもらう喜びを文章化して伝える力はありませんが、あと10年、20年したらどうでしょうか? 「絵本通信」の一文一文はそのヒントになると思います。
絵本の魅力は昔遊びの楽しさと共通しています。大人にとって、昔遊びの時間を子どもと一緒に過ごすとき、子どもに技を教えながら、自分自身その技を親に教えてもらった日のことを思い出しているのです。
ぜひ、みなさんも思い出の一冊をお子さんに読み聞かせてあげて下さい。「絵本通信」の一つ一つの言葉は、いずれお子さん自身の言葉に変わるでしょう。
「ねえ、この本読んで!」
――子どもたちは親に本を読んでもらうことが何より好きなのです。
「ねえ、いっしょにあそぼ!」
――子どもたちは、お父さん、お母さんと一緒に遊ぶ時間が何より好きなのです。テレビを見たり、ゲームをしたりすること以上に、何倍も何倍も!!!
「今、忙しいから」といって、大人が「読み聞かせ」をテレビに任せ、子どもとの「遊び」をゲームにゆだねるというのが、決して珍しくなくなってきた今日。
子どもにとって、「自分の足で歩く」というごく当たり前のことさえ「人(車?)任せ」にするのが当然となっている現代社会。
どこか通じる気がします。
私たちは、身近にある幸せのチャンスを「忙しさ」を理由に――表向きには「利便性」を口実に――放棄しがちなのです。
私の父は日頃忙しかったに違いありませんが、毎晩子どもたちに本を読んでくれました。
私は長男で、弟と末の妹とはそれぞれ2つ違いでしたから、下の妹が小3になるまで、つまり、私は運良く中学1年になるまでこの恩恵に浴することが出来ました。『坊ちゃん』や『水滸伝』といった長編作品も、私の場合、父の朗読で読んだことになります。
この経験が今の何につながっているのか? といわれると答えに窮しますが、少なくとも、自分の子に本を読んで聞かせたとき、読みながら自分の経験をどこかで思い出していたことは確かです。
教育の基本はあくまでも家庭です。
親が子に自分の楽しかった思い出を伝えることは、義務ではなく喜びであり、その恰好の手段として絵本がある、ということです。
一緒に竹馬を作って遊ぶことも根っこは同じでしょう。親が童心に返って子どもと喜びを共有する――絵本の最大の魅力はそこにあると思います。
文章 園長先生