朝夕相変わらず蒸し暑く猛暑も相変わらずですが、セミの鳴き声に季節の巡りを感じます。
子どもの頃は蝉取りを通してそうした変化を感じていたように記憶します。
そろそろ夏休みも終わるなという感覚は、五山の送り火が終わり、地蔵盆も終わり、セミの声も変化するのを感じながら、実感していたように思います。
日頃西洋古典の硬質な言葉を紹介していますが、日本文学の特徴は四季の移ろいに対するきめ細やかな表現だと感じています。
逆に西洋古典にはそれが希薄です。
京都にいるメリットのひとつは、日本の古典文学の舞台を作者と共有できることです。
源氏物語や枕草子で描かれる四季の移ろいは、まさに目の前の季節の移ろいだと実感できます。
ただ、このところの異常気象をふまえると、必ずしもそのかぎりではないといえます。
万事前代未聞の連続です。
いずれ冬になり、「ようやく涼しくなりましたね」と挨拶を交わす時代が来るのでしょうか。
コメント