各ご家庭でお子さんに絵本を読まれていると思います。
このような効能があるからやるというのでは本末転倒ですが、私としては、お子さんが小学校を卒業するあたりまではぜひ続けていただきたい習慣なので、その恩恵を語ったエッセイは一つでも多く御紹介したい気持ちになります。
私が書いたものは、「おやまの絵本通信」にいくつか載せていますので、お時間があるときにお読み下さい。
今日は、山の学校のやまびこ通信に掲載された下村先生によるエッセイを紹介します。今は東京の病院に勤務されている方です。幼少時の読み聞かせはすべての勉強の基礎になるというご意見に私も賛成します。
子供達は、卒園し小学5年と2年「読み聞かせ」の大切さ感じています。幼年時期の読み聞かせはその後、学童期に自分で本を読む力ともなる、そこには絵本だけでなく、児童書(少し長いお話)も読み聞かせをしてあげる事です。園長先生が
小学生の頃、お父様から川端康成?でしたか 小説を読み聞かせしてもらったというお話と毎朝の音読のお話はいつも私の中にあり、私自身意識しています。息子たちは、音読は宿題でもありますが、絵本や児童書を時々音読してくれます。これは、私への読み聞かせでもあります。おかげで、本をほとんど読まなかった私ですが、沢山の本との出会いがありました。読み聞かせは絵本だけに終わらず、物語・図鑑・新聞などもあってもいいと思います。親と子の良い時間として。
幼稚園の先生方の絵本通信は絵本選びに楽しく読ませていただいてます。
コメントをありがとうございます。私が父に読んでもらったのは漱石でした。「坊ちゃん」とか「三四郎」です。「水滸伝」もありましたが、あれは父の嗜好に合った本だった気がします。弟と妹は2歳ずつ離れているので、基本的に長男の興味に合わせた選択だっと思います。
松本さんがおっしゃるように、読む対象はいろいろあってよいと思います。お子さんが中学や高校になると、読み聞かせはしたくてもできなくなるので、「読んで」といわれるうちが「華」で、せいぜい悔いのないように読むといい、といいますか、親もその時間を楽しみに出来るのがベターですね。
中学、高校になると、活字の文字が「読んでもらったように」音になります。親の声は想像以上に記憶に残るものであり、私は「三枚のおふだ」の話を園児にしたときに自分でも驚いたことがありました。紙芝居に「まてまてふんどししめて」と書いてあるせりふをとっさに「までまで」に直しました。「もしや」と思って、何十年ぶりに元の本を見ると、たしかに「までまで」となっていたのでした。
>>『むかしむかし』