今日は新入園児保護者会を無事に終えることが出来ました。幼稚園生活を安心してお迎え頂くためのお話をさせていただきました。

送迎のこと、安全対策の件、行き渋りに直面したときのこと、友達づくりのことなど、それぞれについて、園と保護者が一体となって子どもたちを見守る必要があります。

慣れが解決することがほとんどですが、一つ一つの節目を良い形で乗り越えるため、大人(保育者も保護者も)が「どこに立つか」が重要であるというお話もいたしました。

本園の石段を思い浮かべて下さい。ふもとから園まで登ることを子どもの「成長」だと喩えてみます。大人が石段上に立ち、登ってくる子どもを手招きするとき、「まだか、まだか」と焦ることになります。

一方、大人も子どもと同じふもとに降りてみます。そこから一段一段子どもと「いっしょに」石段を登るイメージを持ってみます。あんなこともできた、こんなこともできるようになった、と「できることを数える」ことになるでしょう。(たぶん、大人より先に行きたがるので、大人が後から追いかける形になります)。

これは先週末の謝恩会でも申し上げたはなむけの言葉と同じ内容です。つまり、小学校に上がっても大事な大人の心構えだと私は思っています。

つまり、どんなことであれ、子どもの出来たことを認め、それをほめることが大事です。今の日本の教育に欠けているのはこのことです。(石段の上に親や先生が立って子どもたちを見下ろすと、何をやっても「それくらいできて当たり前」と評価されてしまいます)。

(繰り返しになって恐縮ですが)、私は小学校一年生の時、どんな点数をとっても父に「満点だ」とほめられました。×でなく○のところは「全部出来ているから」というのがその理由でした。ただ、「○の調子で×のところもやれば、もっとすごいね」と言われました。

次に、すでにできるようになったことも「ほめる」のです。「できるから」当たり前だと(本人も大人も)思い込むことがらを「もっとていねいに」やるように導き、それができたら「ほめる」のです。

たとえば漢字の書き取りのさい、「えっと」と考えて正解を書けたとしても、父は「やりなおし」を命じました。「おまえの名前はなにか漢字で書いてみろ」と言います。すらすら書くと、「それくらいあたりまえのように書けないとだめだ」と言われました。そして、できたら当然のように「ほめる」のでした。(最初のうろ覚え段階で安易にほめないのがコツだということです)。

今日お集まりのみなさんおお子さんはすでに3歳以上の誕生日を迎えておられます。それぞれのお子さんなりに「自尊心」があり、自分にできることをあれこれ自覚しています。そこにヒントがあります。

この時期は、どうしても新しいことへの挑戦ばかりに目がいきますが、すでに「できる」と(親も本人も)思い込んでいることを丁寧に振り返ってみて下さい。たとえば、いっしょに歩道を丁寧に歩いてみて下さい。そして「上手に歩けるようになったね」と言ってあげて下さい。「ただ、大事なことを言うよ。向こうから自転車が来るね。どこにいたらいいか、わかる?そう、だからお母さんが道のまんなか。Aちゃんはこっち側。」と言ったお話をすることも、立派な「復習」の時間だと思います。

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