学校の子どもたちには焦りがあると思いますが、私は復習のよいチャンスととらえるのが得策だと思います。

子どもはダメというとかえってやりたがるので、予習はしなくてよい、と言っておき、そのかわり1年前の学年の勉強はいつでも100点とれるように、と言っておきます。

復習の大切さについて、去年このようなエッセイを書きました。「学びて時に」の「時に」はいろいろな解釈がありますが、「よいタイミングで」ととらえるとよいと思います。

『論語』の冒頭は、「学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや」という言葉で始まります。「復習」を意識した学びを習慣づけると必ず何か新しい発見があります。孔子はその発見の喜びを語っています。

親として子ども(小学生)の学習をどう支援すればよいか。私は、親こそ復習の大切さを伝える人であってほしいと思います。基礎学習の習得に関して、本人が「できた」と思い込んでいる何かについて、本当にわかっていると言えるのか?本当にできたと言えるのか?本人と一緒に丁寧に確認してほしいのです。

漢字の書き取りで言えば、テストでマルがもらえる答案が書けたからそれでよい、ということではなく、同じマルでももっと丁寧に書けるはず、と言って励まし、とめやハネに気をつけて書き直すように指導できるのは親を置いて他にだれもいません。パン食い競争のように「早く、前へ」というのが時代の風潮なら、「急がば回れ」というのが親の合い言葉であればと願います。

もちろん、「早く、前へ」も大事なのですが、その言葉は放っておいても耳に入り、親や子どもを不安にさせる時代です。だからこそ、家庭ではバランスをとるためにも「復習すること」の喜びを親子で共有してほしいと思います。躾と同じように、基礎学習の反復を大事にする姿勢は学校でなく各家庭で培うべきものだと思います。

国語の教科書も、家で繰り返し音読し、そのチェックを親が丁寧に行ってほしいのです(これは子どもに代わってのお願いです)。書き取りや音読のチェックは一日10分でよいのです。ただし、穏やかな心で丁寧に。これが難しい、とよく言われます。赤ちゃんがハイハイからつかまり立ちをするとき、せかす親はいないでしょう。目を細めて「よくできるようになったね」と声をかけるでしょう。それと同じ気持ちで子どもの学ぶ姿勢を心から応援してほしいのです。

たとえ10分、されど10分。この家庭学習の習慣がその子の人生にとってどれだけ貴重な宝となるか、と思います。逆にこのやりとりが保証されず、あるいは早くから勉強で競わされている子どもたちは、学びを苦痛に感じ自信を失うことも少なくありません。もとより学びは競争ではありません。この根本原理を周囲の大人が理解するかしないかで、子どもの学びの意欲は大きく変わるといって過言ではないでしょう。
「すべて成熟は早すぎるより遅すぎる方がよい。これが教育というものの根本原理だと思う」とは数学者岡潔氏の言葉です。こと学校での学びに関しては、子どもが「ゆっくりじっくり」取り組む空気を周囲の大人が丁寧に醸し出し、一人一人の歩みを穏やかな心で見守ることが何より大切だと思います。

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