今朝の登園のとき、年少のAちゃんがお母さんと別れがたく、ちょっぴり涙を浮かべて列に加わりました。
年中のお姉さんに手をつないでもらい、いろいろ気を紛らわせることを言ったりしながら、山道に入りました。Aちゃんのような場合、普通はどこかで笑顔に変わるのですが、今朝は涙こそすぐにとまりましたが、笑顔がなかなか見られません。
日頃、私が年少児をなだめながら冗談を言ったりしていると、その「空気」を読んで、周囲の年長児たちは(それがいかにつまらなくても私の冗談に)相づちをうってくれたり、逆に子どもなりの冗談を言ったりして、その場の空気を和らげようと協力してくれます。
今日もそんな感じで、みなで着ている服の色を指さしながら、食べたいドロップの種類を言い合って(赤色の服ならイチゴドロップ、黄色ならバナナのドロップなど)山道を登っていたのですが、それでもAちゃんの顔がさえません。
Aちゃんの顔を見ると、お母さん恋しさの表情とは違います。ずいぶんしんどそうです。山道がこたえているのでしょう。登るのも少しつらそうでした。「体調が悪い」というサインをようやく理解した私はその子を抱っこし、頭をなぜながら山のてっぺんまで到着しました。
日頃、山のてっぺんに着いたこどもたちは、私とじゃんけんをしてから部屋に向かったりします。今日も、大半のこどもたちがそんな感じで部屋に向かっていったころ、列の後ろの方にいたはずのBちゃん(年長女児)が、私とAちゃんのところにやってきて、「Aちゃんだいじょうぶ?」と心から心配そうに一言。
そういえばBちゃんもずいぶん以前ですが、同じようなパターンで山の上に引率したことを思い出しました。
こどもたちはいろいろな理由で涙を流すことがあります。そのとき、周囲の大人やお兄さん、お姉さん(また、同じクラスの友達)に言葉をかけてもらったり、親切にされたりします。たくさん涙を流した人は、同じ気持ちで困っている他の友達に優しくできるのだ、ということをあらためて感じました。