今日は一学期の保護者会を開きました。
ご多用の中お足運びいただき、感謝申し上げます。
最後に「和して同ぜず」のお話を少しさせていただきました。
「同ぜず」という表現に、個々の人間の主体性や自由を尊重する精神がくみ取れます。
この流れで考えるとき、今朝私が経験した三歳児の発した言葉の重みが感じ取れます。
1)「ママ(涙)」、2)「ママがいい(涙)」、3)「ぼくは部屋に入る(涙をふいて)」と段階を踏んで発する言葉が変わったこと。
ホップ、ステップ、ジャンプではありませんが、何と見事に葛藤からの飛躍を短時間で遂げたことでしょう。
このお子さんに限らず、どんなことであれ、一人ひとりの子どもの心の中には大なり小なり葛藤のモヤモヤは存在し、大人に言われなくても子どもたちは本来それを自分で解決したいと願望しています。
目の前の困難に対し、自問自答を繰り返し、あえて困難と思える道を選択する姿勢のことを、西洋社会では「ヘラクレスの選択」と呼ぶ習わしがあります。
今朝のエピソードは、3歳児さんがこの選択を自力で行ったケースにあたると思います。
そして、年齢・性別を問わず、子どもたちはみなこの力を潜在的に秘めていると私は信じています。