明日新しい元号が発表されるようです。
時代の呼び方が変わっても変わらずに大切なものは何か、また、これを機に改めることにつながればよいと思われることは何か、整理して考えたいと思います。
このような考えに糸口は、温故知新という言葉が示すように、古典を読むとヒントが得られます。
2000年あるいはそれ以上に古くに書かれたものを読むと、今も昔も変わらない人間のありようが浮き彫りになります。
一方で、古今東西という言葉もあります。
外国に旅行に行けば、日本の風習の良い点と変えたい点が自ずと見えてきます。
同様に、古い時代の日本の文献、あるいは西洋の文献に書かれた内容と「今」を比較することで、今当たり前だと思っていること(とくに我慢していること)が条件ひとつで変わり得るもの、変えるべきものとして見えてくる場合があります。
いずれにせよ、一人でものを考えると同じことの堂々巡りに陥ります。
今の日本にいても、性別、年齢などで似通った人と話していると似たような考えの堂々巡りに陥りますが、あえて世代の異なる人と話す機会を持てば、考えに柔軟性が得られることも期待できます。
時代が変わっても、太陽が昇って新しい一日が始まる毎日の生活は何も変わりませんが、これをきっかけとして、今まで是としたことが非であったり、その逆であったりする可能性を広く、深く考察するきっかけにしたいと思います。
私は「教育」を取り巻く環境について、あれこれ思いを巡らせています。