今日から週一回のペースで年長児に俳句を教えます。最初に黙想します。その前にどうして目をつむるのか、説明しました。
子どもたちは私が語る言葉を耳で聞いて、それを繰り返します。心を静かにしないと耳から言葉が入りません。心を落ち着けるため、幼稚園では静曲にあわせ、目をつむる習慣がありますが、俳句の黙想はその延長にあります。
終わった後、何の音が聞こえた?と尋ねますと、あれやこれや返事が返ります。今日は私が想像していた以上に(つまり例年以上に)集中して目をつむることができていました。心がふわふわしていると「くすくす」と笑い声が聞こえたりしますが、咳払いの音もありません。
今日紹介した俳句は、子どもたちにとってたいへん親しみのもてるものだったと思います。
かたつぶり そろそろ登れ 富士の山 一茶
私が「かたつぶり」と言った後、こどもたちがそれを復唱します。みんな大きな声で合唱できました。本当に見事でした。何も言うことはありません。ぜひ、今のこの初々しい気持ちを三学期最後の時間まで持ち続けてくれたらと願っています。
いつもありがとうございます。
今日さっそく息子から「俳句やった!」と知らされました。
普段からおしゃべりなのに、次々と頭に浮かぶままにあれこれ喋るだけで
幼稚園での活動はほとんど話してくれない彼にも、これは一大ニュースだったようです。
「年長さんしかできないこと!」と得意気でした。
このように「年長になること」に憧れる心、「年長であること」を誇りにおもう心を持たせてくださる働きかけが、
他にもいろいろあり、素敵ですね。
お帰りのときに、入園間もない年少さんをお迎えに上がり、集合場所へお連れすることや、
園庭をご案内すること。登園、降園のときに手をつないで「小さいぐみさんを守る」ことなど、
その「役目」を担うこと自体が息子を支え、成長させてくれているのを感じます。
小さい組さんの存在があってこそ、「年長のぼく」も強い気持ちをもてているのでしょう。
俳句の話に戻りますが、「いいお耳で聞けた?」と尋ねると、
「うん。・・・もっといいお耳になると、時計の音まで聞こえるんだって!」
それから「園長先生、動物さんの座布団にすわってはった~」と笑っていました。
目はお座布団、耳は時計にむけて、黙想のあとを過ごしていたのでしょうか・・・?(笑)
他には「いっさ、って言ってた!作った人」。
習った俳句を覚えているか問うと、なぜか耳元にきて(息子がいうところの)こしょこしょ話で
「かたつむり △ろ△ろのぼれ ふじのやま、 いっさ」と、△のところは聞き取れない小さな声。
「なんて?ぞろぞろ?のろのろ?」と聞き返すと、「・・・わすれた。そこは覚えてない」とひっこめてしまいました。
でも、たぶん、「そろそろ」と言えていたと思います。
とてもいい句ですね!
お弁当を入れたお鞄が大きすぎて見えた あの頃、
えっちら おっちら お山を登る息子たちを
「ゆっくり どうぞ」「がんばって」と 心の中で応援していた自分自身の心境を思い出しました。
コメントをありがとうございます。エピソードをお聞かせいただき、たいへん励みになります。
季節的には「目には青葉・・・」を選びたいところですが、子どもたちに身近で、情景がよくわかるものを選ぶようにしています。そうするとどうしても一茶のものが多くなります。
「年長児のお兄さんだから、お姉さんだから・・・」というフレーズは、それが励ましになる場合とプレッシャーになる場合と両方あります。いずれ一人一人手を挙げ、皆の前で覚えた俳句を発表します。
以前は5月末ごろからこの発表を実施しましたが、ここ数年は運動会後です。早い時期に始めると、どうしても中だるみします(最初からできる人は特に)。また、最初に苦手意識をもってしまう子どもには、「ぼくは(わたしは)できない」と早々にあきらめる気持ちを植え付けるケースもあるかもしれません。
そういうわけで、今は機が熟した頃を見計らって次の段階に移ることにしています。ここでも「じっくり・ゆっくり」がキーワードですね。