山口大学の脇條先生の記事を拝読し、わが意を得たりと思いました。

>>「学びを阻害しない評価方法」

そこで紹介されている3つの評価の仕方のうち、好成績だったBの評価は幼稚園の評価と重なります(月末のお便りのコメントなど)。

対して、Aの評価は小学校以上で常識とされる通知表の評価です。

この結果を踏まえての脇條先生の文章も心に響くものでした。

学びと競争を安易に結びつけることへの批判の目は、大学教育だけでなく、小学校から始まる学校教育にも向けたいと思います。

学生による「自己評価」も鍵として取り上げられています。

このことで思い出したことがあります。

小学校6年の時、担任は通知表の学習態度の評価を生徒の自己評価を参考にしようと思われたようで、一つ一つの項目ごとに(学びの意欲、etc.)自分はその力に長けていると思う者は手を挙げよ、と言われました。「学びの意欲」と言われてもピンときませんでした。「はいっ!」と手を挙げ、いかに自分は家で勉強を頑張っているのか、授業中はいつも手を挙げているように心がけているのだ、とか、アピールした者もいて、すごいなー、と思いながらいくつかの項目に関してのやりとりを横目で見ていました。

最後あたりで、先生が「つぎ、『創意工夫』」と言われたとき、勇気を出して手を挙げましたが、先生は「おまえが?」というコメントを出されました。

時効なので、こういうネガティブな話も許してもらえるでしょう。私の小学校生活は1、2、3,4年がベストで、5,6年はワーストでした。

ワーストだと思って通っていたので、先生に「おまえが?」と言われても仕方ないと思い、反論しませんでしたが、情けない気持ちになったことを覚えています。

「自己評価」にせよ何にせよ、先生と生徒の信頼関係がベースになければ何も始まりません。

信頼で結ばれた大学の先生と学生との間なら、きっとうまくいくと思います。

追伸
脇條先生は大学時代の同級生です。記事を見て懐かしく思いました。

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